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霊峰富士。

結果は参加者全員が無事に登頂。
健康な人間ばかりで装備もそれなりに整っていたから当たり前なのかもしれないけれどさ。

ただ…今回富士山に登るにあたって人選を間違えていれば大変だったかもしれない。
メンタルが頑丈なだけではあれは登れない。
簡単に心が折られるだろう。
疲れた弱ったと言って途中離脱しても初心者1人で…いくら標識があっても天候良くても上手く下山出来るかさえ疑わしい。
万が一でも事故の可能性は嫌だ。
途中下山は疲労などよりもタイミングの問題だ。
辛いとか苦しいは問題じゃない。
だってね、実際はもう歩けないと思っても少し休めばなぜか歩ける、全員ゾンビ状態。
後は気合いのみ。
そして歩けど歩けど見えない頂上、あれ以上の精神修養は無い。
現役で普通に生活している俺でも苦しいような道を齢80を越えるであろう爺ちゃん婆ちゃんがスタコラ登っていた。
そして登下山ですれ違う度に皆が挨拶、声出しは基本だった。
一般人が登れるといっても少し足を滑らせたら危険極まりない角度の岩場がたくさんあった。
これ失敗したら死ぬんじゃないかと思いながら足を運ぶと不思議と失敗しない。
あれはとんでもない場所だ。


まずは…悔いた。
なぜ今まで富士山に登ろうとしなかったのか。
芸事、全ての芸事に携わったり語ったりする上で富士山を知らないのはかわいそうだ。
あそこは人生というか何かこう時間軸の大海原のようなものが見える。
例えば何かに描いたような地獄絵図とかさ、昔霊界を描いた映画とかあったでしょ。
あれ以上のものがまんまあった。
それを見て何が出来るというのか。
標高2000m少しの山までは知っていたけれど3000m越えればこうなるのか。
なぜ霊峰富士と呼ばれているのかもよくわかった。
いとも簡単に死ねる。


何見たっけ…。
天国を見た。
太陽ってあんなに凄いものだったんだ。
普通に雲海の上にいると何もかもがおかしくなっていく。
地獄を見た。
頂上近くから見下ろせば下をジリジリと歩く霞がかった人達はまるで死者の列。
夢に見たようなゴツゴツした岩場…場合によっては崖のような場所をこの手でよじ登っていく。
雲の中では光で屈折した人影が巨人のように写る、怖かった。
無音を聴いた。
最高の無音とは生だ。
行く所に行って見るもの見れば昔からの伝承が解決出来る気がした。
途中まで写真撮っていたんだけれどもさ、この携帯ではあまりにも撮りたいように撮れなかった。
なのでこの1枚だけドロップ。
SH350059.jpg
同行してくれたカメラマンのイケダ氏の写真に期待だ。


7月7日
0時半過ぎ。
都内2ヶ所から2台で別々に出発。
車内はテンション上がり過ぎで疲れるのを避ける為にわりと穏やか。

1時20分
中央道談合坂SAで合流、無事に9名集合する。
深夜にも関わらず皆元気、バカばっかりだ。
無駄に食いまくる俺、牛タンつくね、肉味噌まん頬張る。
万が一高山病でバックした時対策で消化の遅そうなものは食わないと決めていたのはどこの誰だったのか。

2時50分
中央道河口湖で下道に、付近のコンビニで最後のお買い物をしてから富士スバルラインに侵入。
料金所で係の人に執拗に富士吉田口にこの道で行けるのかを聞くも返された言葉が方言なんだか舌っ足らずなのか全く聴き取れなく同乗者にも笑われ切なかった。

3時半
無事に河口湖口に到達。
当初予定の吉田口には車での行き方がいまいちわからず断念、多少歩行距離が延びるもまぁいいかで終わる。
そして持参したパスタを茹でようとするも痛恨のミス。
2つあるうちの1つ、俺が持ってくるはずの肝心の鍋を忘れていた。
コンロもパスタも皿もフォークもザルも持ってきたのに鍋だけ無い、最低だ。
登山前の大事なご飯なのに。
2つあるはずの鍋が1つに…9名分を1つで1回というのは無茶な話だ。
それでも仕方なく茹で始めるもいかんせん寒さがあり沸騰するまでに40分もかかってしまう。
結局食べ始めるのは1時間経過した頃だったか。
無茶な量のパスタを茹で始め無駄に盛り上がる。
パスタの後、出発直前にスランキーナベジさんからいただいたじゃがいもを素茹でにして皆でいただく。
高山病対策で最初にはしゃぎ過ぎてはいけないという暗黙のルールをここで全員がビリビリに破り捨てていた。
楽しかった、良い思い出だ。
良い景色も見れたしここでもう帰っても一定の満足度は得られるんじゃないかというくらいのピーク。
そして雲が上昇気流に乗って霊峰に登っていくのを眺めていた。
既に景色は天国。

5時
仮眠。
全く眠れない俺、簡単に眠る皆。
なぜだ。

5時50分
すごすごと準備開始。
ジンプルはユニフォームにお着替え。
下半身は本当にあれ、上は_ _ _ _*Tシャツ。
最近ジンプルはわかってきたようだ、進んでムードメイカーになっていた。
やるな。
これからしんどいとわかっている時はこういう面白い人が多ければ多い程助かるもの。
人間なんて所詮メンタルでどうとでも転がれる。
俺は半パンに速乾性のタンクトップ、Lv.1アリアハン状態でゾーマを倒せるのか。
わかりにくいか。
とはいえ半パンの下にはスパッツ、背負ったリュックには完全装備。

6時
出発。
今回同行したAsyura3rdのλ氏。
前回1度だけ行った富士登山で失敗して頂上に行けなかった話を聞いていたので今回はなんとしても頂上に上げるべく列の最後尾で一緒に歩く事に。
早い遅いはどうでもいいからとにかく全員で登頂するのが目的。
しかしこれが結果的には俺自身富士山をなめていたという極限状態に導かれる結果になるとは思いもよらなかった。
この五合目の時点でも素晴らしいはずのジブリ作品の絵がお粗末に思える程の景色が広がっていた。
富士山裾野近くはリアルジブリだ。
そして登山道に侵入して100mもいかないうちに同行した1人の右足のソールがはがれる。
ありえない、これではとても登山どころではない。
パコパコしていた。
ただでさえ気圧が低く酸素を消耗したくないので頼むから笑わせないでくれと思ったのも束の間、何のタイミングでか左のソールもはがれる。
早過ぎる笑いの神様を降ろしてしまった。
両足がパコパコ状態、最高に最低な演出だった。
だってこれから3000m以上の山に挑むのに開始100mで足元が終了してるんだもん。
しかしバンドマンならではのなぜか持参されていたビニールテープでバミり応急処置。
本人はテンションガン落ち、周囲はガン上げ。
そりゃそうだ、適当にバミった靴で登頂など出来るものか。

7時20分
富士吉田口と河口湖口の合流地点に到達。
頼むから白テープでバミった靴を視界に入れないでくれ。
頼むから不自然なまでの歩きにくさをアピールしないでくれ。
頼むから不満そうな顔でこちらを見つめないでくれ。

そして早くも列から遅れ出す俺&λ氏。
登山道は砂利や時に大きな石で常時思ったよりも足を食われる、ぬかるんだ泥の上を歩いているようだ。
1歩で30cm進んで3cm戻される感じ。
そして日常生活から考えれば無駄に高い段差ばかり。
普段どれだけ整備され過ぎた道を歩いていたのか痛感。
既に何名かは息を切らせるも慣れてきたせいもあり全体としてのペースは上がっていく。
これだけ書いておくけれども最初のほうの山小屋でスニッカーズが300円だった。
確か六合目だった。
各々持参した食料の予想以上の消費加減で怖くなり買ってしまった。
だってもっと値上がりするんじゃないかという危惧があったから。
でもその次の山小屋では250円、その次が200円。
そういう事だ、やるな。

7時50分
到達した七合目の山小屋にて小休止。
件のバミった靴を無事に買い換える…も壊れた靴自体がとても無駄にでかい荷物になる。
山ではゴミは全て持ち帰るのが当たり前。
リュックからはみ出たパコった靴。
頼むから笑わせないでくれ。
ちなみに登山に適したような頑丈な靴でも1年程放置していれば接着剤がダメになって同じ症状になる人も珍しくないらしい。
問題は買い換えれる靴よりも酸素を消費するから二次災害で高山病を引き起こしたパーティもいたはずだ。
この辺りからパーティは完全に二分化。
自分のペースでいける先頭組~真ん中。
相変わらず俺はλ氏と最後尾、そして始まった崖登り。

8時
ひたすら連続して現れる岩山を前にλ氏の口から「地獄やな」という言葉が発せられ始めた。
この後500回は聞いたであろう耳に焼きつけられた言葉だ。
確かに誰でも参加出来る登山道としては激しく感じられた。
京都出身のλ氏、大阪出身の俺、完全に関西弁の会話は楽だった。
とにかく崖を登って行く、2時間くらい崖ばかり。
崖→山小屋→崖→山小屋→崖→山小屋を3セットくらい繰り返しただろうか。
しかも山小屋に到達する直前には必ず段差の激しい階段状の岩。
そして雨と雲が交互に襲ってくる、たまに突風。
高度がちょうど雲の辺りだったせいか景色は真っ白、何も見えない。
とにかく歩幅が30cmであろうと10cmであろうと休憩を挟みながら確実に頂上3776m目指してジリジリと登る。
このジリジリ感が楽しかった、だって確実に山頂に近付いている。
日常にゴールなんてない。
今後登る人に言えるには登りに関しては七合目~八合目が最もきついのではなかろうかという事。
八合目までがとにかく長いんだから。
この部分は軍手が必要、それも100%布だと不利、なぜなら湿気か雨でどんどん重くなっていくから。
リュックや衣料にも言えるけれど水分を吸収して蓄えてしまうものはダメだ。
綿製品は避けたほうがいいだろう。

8時50分
ここで最後尾が入れ替わる。
λ氏が好調になってきて先頭組に参加。
最後尾は四谷副店長の佐藤学、イケダ氏、飴、俺になる。
この頃疲労もかなりきていた。
飴が出産しそうな勢いでひ~ふ~言って登っていたのが印象的。
前日仕事で普通に夜まで勤務だった佐藤氏イケダ氏共にこの頃がピークだと思われる。
ここで疲労のピークが訪れるのは決して早くはない、周囲を眺めていても大体がこの辺りでペースダウンするようだ。
盛んに休憩を挟みながら励まし合って雑談をしてとにかく登る。
確かこの頃にちょろちょろとダメかもしれないというような会話が出ていた記憶がある。
ここでまたも重大な忘れ物に気付く。
俺は必需品であるはずのエネルギー系のゼリーと携帯酸素を車に置き忘れていた。
あんなに準備していたのに何してんだ。
とはいえ酸素不足はそこまで感じなかったし俺だけだったのでまぁいいかになる。
ライブ中の酸欠のほうが全然苦しい。

9時40分
どしゃ降り&突風。
疲労もあり山小屋で動けなくなって完全に先頭組から引き離される。
ここで気付き始める。
実は俺自身も他人に構っていられない程に疲れが出てきていた。
まだ八合目に到達出来ない。
雲が冷たい、気流で呼吸を奪われるのがわかった。
それよりも足が重たい。
慣れは偉大だ、この頃まだ富士山に慣れておらず。
今日はとても天候が不安定で疲れやすいですよと山小屋の人に言われる。
確かに10分単位で晴れと雨が入れ替わっていた。
そして休憩中に飴が立ちながら寝ていた、面白い。
それでも誰もここで待機しているとか言わなかった。
富士山初心者とはいえさすが現場の人間達だ。
皆どこかの配線が切れているんだろう。

10時10分
崖がやっと終わり八合目に到達、いくらかはましな深い砂利道に切り替わる。
とはいえ永遠かと思われるような砂利道をひたすらに一歩一歩登る。
最後尾組は皆完全に無言。
足を止めては一言二言交わす、そしてさぁ行くかの繰り返し。
やっと到達した八合目。
歓喜だった。
ちなみに吐く息は白く周囲は重装備、なのに俺はまだタンクトップだった。
体が温まっているせいかまだ寒くはなかった。

10時50分
本八合目の山小屋で先に休憩していた先頭組と合流。
頂上間近で全員が集合。
俺が頼んだのが400円のココア、自販機から出てくる最も小さいサイズのカップで悲しかった。
正面に座っていたイケダ氏がオーダーしたのは600円でカップヌードル。
なんだかとても不条理だった。
隣に座っていたλ氏と飴がオーダーしたのは500円のおしるこ、俺の倍以上の容量だった。
なんだかとても不条理だった。
ジンプルは未だユニフォーム、やるな。
俺は背負っていたリュックの中身が気になった。
タンクトップのままでまだいけそうだったから、この後に及んで何をそんなに持ってきて詰め込まれていたのか…衣料を全て出して再確認。
あまりに多かったのでとりあえず着たほうが軽くなるんじゃないかと思って装着。
Lv.1からLv.70くらいまで一挙にステップアップ、靴下も厚手に変更。
リュックが軽い軽い。
なんでこんなに服を持ってきたのか後悔、誰かが弱ったら貸そうと思っていたけれど必要なかった。
着たはいいもののすぐ暑くなってその後結局順番に脱いでいく事に。
夏の富士山、雨も雪も降ってきたし風も強く2℃だったけれど夜間でなければ俺には2枚で十分だというのがわかった。
ちなみに1時間に1人くらいは薄着の人と遭遇した。
薄着もそんなに珍しくない。

11時10分
頂上に向けて出発。
最後尾は再び俺とλ氏。
ここからが本当の地獄だった。
訪れた精神修養の時間。
先頭組はすぐではなかったのかもしれないけれど体感としてすぐに先に見えなくなり周囲は雲で真っ白、雨は上下から襲いかかりカッパはセパレート式でなければ無効、突風がさらに勢いを増してきた。
2人きりで歩く景色はまるで地獄、とにかく苦しい。
曲がりくねってはるか上までぼんやり見える砂利道。
上を行く人の影が雲に映し出されると巨人のように見える。
まるで幻かホラーだ。
そして静まり返ったその場所でふと一言。

「静かですね」

初めて無音というものを知ったかもしれない。
自宅などで感じる無音は無音ではなかった。
静か、何の気配も無い。
この世に誰もいなくなってしまったかのような無音の旋律。
虚空に出会えた。
気付いた瞬間に呼吸音さえ邪魔で呼吸を止めていたかもしれない2人。
確かに無音を聴いていた、聴こえた。
至上の感動。
軽度の高山病になって頭痛吐気を抱えてしまったλ氏と少ししてからまた立ち上がり励まし合いながらとにかく一歩一歩。
冗談抜きで歩幅10cm前後でとにかく登る。
不思議な光景を見つけてはこの辺りの感じで何曲作れるんだろうかみたいな話もしていた。

11時50分
この時…もう頂上に到達出来なくてもいいと思いかけていた。
心が折れかけていた、いや、折れていた。
なぜならここまで散々登ってきた分の下山もある、ここでλ氏がこれ以上登れないとなれば頂上がそこであっても降りようと思った。
なんでもいいから無事に帰らねば。
この標高で別れて俺だけ登頂しても1人出来ないなら2人も同じ。
ここまで来た行程を思い返せばとても1人で下山だなんて無理だと思った。
突風、足場、距離、高度、視界、そして疲労。
また来ればいいという結論に至った。

そんなつもりはなかったけれども結果的に富士山をなめていた。
全員で登頂するだなんて俺はもっと熟達者でなければならなかった。
それこそいざとなれば人間おぶってあの道を歩けるくらいじゃないと無理だった。
そこまでの余裕なんてどこほじくり返しても無かった。
そして疲れが増した要因の1つとして富士山というよりも人に集中して登っていたせいだろう。
可能な限り全員で上がる事しか考えていなかった。
自分のペースっていうのがベストというよりも鉄則だというのを教えられたようだった。
初めての富士山なのに自分のリズムやペースからして恐らく遅過ぎたんだろう。
もうダメか。
弾き出されたその結論をいつ口に出すか迷いながらそれでも少しずつ歩き続けた。
その時ふと鳥居が見えた。
写真で見た事がある鳥居、もしかしてこれは本当に頂上が近いのではないかと思った。
上は雲で全く見えずにどこが頂上かは視認出来ない、それでも鳥居をくぐっただけでなぜか気持ちが盛り返し一緒に火口見ましょうだなんて言ってとにかく登り始めた。

後になってわかった事だけれどもそこが頂上まで約50mの場所だった。
たかが高低差50mとはいえ富士山でいえば大変な距離。
ジリジリと歩を進める、あんなに重い1歩を感じたのは初めてだ。
その辺りで既に登頂成功していた先行組の中からユニフォーム姿のままのジンプルがやってきた。
頂上から1人で降りてきて助けに来た、やるな。
ジンプルがλ氏のリュックを背負い3人で進む。
これでもう大丈夫だと確信。
たかが50mなはずなのに全く頂上視認出来ないままに登る。
直前まで終わりが見えなかった。

12時20分
無事登頂。
山頂にて全員集合。
しかし天候悪いせいで景色は何も見えず。
山頂はどこも山小屋が閉まっていて運良くこの日から営業開始というか準備開始した山小屋のご主人が休む場所を提供してくれた。
暖をいただく、しばし談笑。
そしてゼリーを恵んでもらった、メロンゼリーしかもスプーン付き。
あの場所、あのタイミングでのメロンゼリーの価値は地上だと100万円だ。
ありがとう、λ氏。
少しずつ体力が回復していく…というか気力体力共にあるのに足だけが痛いと誰もが言っていた。
俺もそうだ。
そういう事か、だから皆登れたのか。
ちなみに山頂でも予想していた程の寒さは感じなかった。
夜中に河口湖口に到着した瞬間が最も寒かった、恐らく寒さがやばいのは山頂よりも総じて夜間だ。
まだだ、無事に下山して帰らねばならない。

13時
下山開始。
そして山小屋を出た瞬間にプレゼントをもらった。
急に天気がよくなり雲の隙間から下界が顔を覗かせた。
最高の景色だった。
こんなに高い所までよく登れたもんだ。
河口湖が人差し指と親指で作れるくらいの大きさだ。
いろいろと運もあったんだろう。
ありがとう。

ずっと最後尾だった俺が今度は先頭組に参加。
楽だ。
とにかく楽だった。
元々下山は登りよりも楽、足に負荷がかかるとはいえ楽だった。

14時
尚も快調に下り続ける。
実は下山道は専用の迂回ルートでブルドーザーで整備された道のはずが時期が早いせいでまだ開通しておらず。
本当はもっと楽だったんだろう。

15時
まだまだ下り続ける。
そして4年振りくらいにこけた、完全にこけた。
軽く駆け足で降りていて砂利道に足を取られ両手をついて尻餅式にストン。
やっとこけた、多分誰か見ただろう。
他にも何人か転んでいたけどね。
そしてこんなにも崖を登ったっけと疑う程にひたすらに下りまくる。
またあの岩場だらけに戻ってきた。
危険度MAX、あの角度とあの岩具合で転んで落ちたら骨折では済むまい。
誰もケガしないでくれと祈りながら尚も先行。
車の鍵を所持しているんだから。

15時30分頃
ごまかしきれなくなる。
実は…確かそこだったと思うんだけれども登り八合目手前くらいの崖登り時に下山してくる男性がふらふらで危なかったから優先させる為に脇で待っていた。
登下山同じ道で狭いからね、とにかく空気読んで皆で譲り合い。
その時にその男性は岩場が急で案の定体勢を崩して足が滑ってしまった。
軽く滑落、角度が急だから本能的に足は進むものの危険な速度で止まれそうもない。
うわっと思って左手で強く岩を握って踏ん張ってその男性の襟首辺りを右手で強く掴んだ時に支えていた右足首を軽くひねってしまっていた。
そんなに大したひねり方じゃなかったから何の問題にも感じず大丈夫と思ってそのまま登って下りてきたけれどここで悲鳴を上げ始めた。
い~た~い~、最低や~と言い出す。
もうこれは完全に意思とは無関係の声。
こんなにも登ったのかと疑うくらいの延々同じような曲がりくねった地獄ループを道が開ける度に最低やと叫ぶ。
とにかく痛くて終わらない、実際下りている途中に複数ある下山道をいつの間にか間違えたんじゃないかと真剣に検討していたくらいなんだから。
その時既にパーティは二分化。
先頭組で一緒だったのは佐藤氏、イケダ氏、飴、ゴロー氏。
どちらにしても俺は最後尾と先頭という両極端な場所にいたからそれ以外で何が起こっていたのかは知らない。

記憶が曖昧、16時半頃?
なんとか河口湖口と吉田口の合流地点まで下山。
残りは横道で多分…2km近くくらいの地点で後のメンバーを待つ為に待機。
俺あっさり寝る。

多分20分~くらいで起こされる。
気付けば全員無事下山していた。
よかった。
しかしこの時寝て体が冷えたせいか右足首がかなり痛い。
そして気付けばそれをかばっていたせいか右ひざも痛い、最悪だ。
完全に終了した俺。
ち~ん。
いつもそうなんだけれど俺が終了した時って糸が切れたマリオネットのようになる。
あれは本当にやめて欲しい。
でもきっと使い切ってしまったんだろう。

そしてλ氏持参の杖を借りて残り2km程の横道を歩き出す。
痛い。
当初からこれだけは嫌だなと思っていた状況…高山病になってしまってゲロ吐きながら誰かに担がれて大丈夫か~!と言われながら帰還というのだけは避けたい状況にかなり近くなってしまう。
意識が混濁してはっきりと覚えていないけれど、後で聞いたらどうやらリュックだけは佐藤氏に取り上げられて杖を頼りに歩いていたようだ。
よく覚えていないけれど確か雨が降っていた。
覚えているのといえばなんとか自分の足で帰らなければというのとだいぶ遠くに見えた河口湖口の建物だけだ。

18時頃?
車で下山、御殿場の店に向かうはずがなぜか営業していないらしく下山して間もなくの場所にあるほうとう屋さんに向かう。
下山した安心からか意識が混濁してどうやって車に戻ったのか未だによくわからない。
お土産も買えず。
今思えばあれは運転してはいけないコンディションだった。
何かのほうとうと天丼を食べた気がする。

20時前?
都内へ向けて出発。
いくらか回復したとはいえここに至ってはほとんどのメンバーが疲労困憊。
もう1台の運転手のイケダ氏が心配だったけれども自分自身も心配。
とにかく出発。
すぐ後ろを走ってずっとついていくつもりが談合坂SAに入ったな~と思いながらそのまま通過してしまった俺。
心の中で「イケダさ~ん!」って思いながら通過してしまった。
脳が感じてから末端神経に命令が届くまでの反応速度がそういう状態だった。
ハンドルをきれいに切る自信も無かったしブレーキも上手く踏めるか、何よりSAにそれる為の車線も近くじゃないとはっきり認識出来なかったんだろう。
富士山日帰りの本当の恐怖はここだ。
そして車内は既に皆寝静まっていた。
だからこの流れを知る人もいないだろう。

21時頃?
到着、とにかく無事に到着。
よく到着出来たな…とても低速で帰ってきた。
高速道路でも70kmとかだった、本能的な精一杯の危機回避。
何かの帰巣本能だな…ふぅ。
お風呂に浸かってそのまま寝そうになり溺れると危ないので早々に脱出。
寝る。


富士山に必要なもの。
○水2リットル、スポドリよりも水が良い。(1リットルしか飲まなかったけどたくさん飲んでる人もいた。)
○携帯酸素。(持って行くの忘れたし何度借りてもよくわからなかったけれど皆はよく使っていた。)
○速乾性の肌着。(着ていったのはタンクトップといってもかなり良いもので普通のではなかった。)
○その上に保温性の高い服。(重過ぎず暖かい生地のもの。)
○その上に風を遮るフード付きの服。(服の機能把握して着る順番間違えなければ3枚でOK。)
○カッパ、セパレート式。(風がとても強く雨が下からも襲ってくるから。)
○リュック、頑丈で水を吸わないもの。(吸水して重くなると負荷が大きくなり中身も濡れると最悪。)
○手袋、水を吸いにくいものであればなんでもいい。(基本気温が低く末端が冷えると疲れも増す。)
○1000円分くらいの小銭、トイレはチップ式だから。(必須、しかも取り出しやすい入れ物に。)
○コンタクトであれば伊達メガネゴーグル必須、土埃の威力が凄いから。(土埃痛い、たまに小石。)
○水分を奪われすぎない甘い物。(何がいいんだろう、お薦めはやはりエネルギー系のゼリー。)
○トレッキング系の靴。(無駄にパコらないの、靴擦れ防止で履き慣らしておくのと重過ぎないの。)
○厚手の靴下、険しい道から足を守る為。(防寒&足首程々に固定出来て下半身負荷軽減される。)
○杖。(特に下山時に絶大な効果を発揮すると思われる。)
○夜間であればライト。(登山に慣れないままに無いとかなり高確率で防げた事故が発生しそう。)

ちなみに俺はカッパ使わなかったし携帯酸素無かったしリュックも軍手も水を吸うものだった。
服も登りはほぼ着なかったから無駄に重かった、失敗した。
土埃もたくさん喰らったし雨も気持ちよかったから基本知らんふりしていた。
実際はストック装備したまま上記したものの3分の1くらいしか使わなかった。
だから人によるんだろうけれど登頂した感じからして上に書いたのさえあれば初心者でもかなり大丈夫だと断定出来る。
夏の富士山はこれで大丈夫だろう。

1日経った今思うのは上にも書いたけれどもっと早く富士山に登っていればよかった。
あれを知らないのは不幸だ。
何よりも大切なものがあった。
それに今まで国内外でたくさんの景観を見てきたけれどもあれ以上は無かった。
だってさ、初めて見るような珍しい景観というよりも、日本人であれば誰もが知っているような思い描いていた以上の光景ばかりがたくさんあったんだから。
ごみのせいで世界遺産外れるにはあまりに惜しい。
ゴミは帰りに2つしか拾えなかった、手の届かない場所ばかりだった。
霊峰富士、別にそんなにお金がかかるわけでもないし時間もかかるわけではない。
登れるうちに1度は登ったほうがいい。
登頂出来なくたっていい、途中まででいいじゃない。
山頂にいた時も登山していた人数からすればそんなに来なかった。
必要なのは経験でも体力でも気力でもない、知らないものを知ろうとする気持ちだけだろう。
単なる好奇心かもしれない。
後は少しの心の余裕くらいか、それとて富士山が与えてくれた。
少しバンド観というかね…何かが変わったというよりはっきり見えた。
あぁ、そういう事だったのかって思い知らされた。
誰もが富士山になればいい。
遠くからぼ~っと見て登ればきっとわかる。
簡単にそうはなれないから困るんだけれども。


呆れる程の速さでかなりたくさんのお爺ちゃんお婆ちゃんが登っていた。
すれ違う人達は皆挨拶してくれた。
途中の山小屋の展望台では絵を描いていた人を見た。
雲の中から見える雲と太陽、そして地平が描かれていく様は衝撃だった。
登山時に建て始めていた山小屋が下山時にはほぼ完成していた。
目まぐるしく変わる天候の中ではあれくらいの速度じゃなければ無理なんだろう。
頂上近くの高度にも関わらず敷き詰められた長い石畳、お世辞にも石畳とは言い難いその粗さがどのような過酷な作業だったのか想像させてくれた。
その脇に建てられていた墓標、あれは誰のものなのか…名前さえかすれて読み取れなかった。
いつも見ていた富士山にこんなにもたくさんのものがあったとは。
これからは静岡、山梨を通り過ぎる度に思い出すだろう。
なんだか久し振りにたくさんの常識非常識をひっくり返された気分だ。
これを機会にいろいろとリセットしなければ。
それでやっとまた次に進める。


ありがとう富士山。
また行くよ、今度はもう少しキツいルートでさ。
きっとあれは登山初心者にはちょうど良い具合の難度なんだろう。
じゃなきゃ俺達9人揃って登頂出来たはずがない。
過去、冬の白馬で住み込みで働いていた時に滑りがてら連れて行ってもらった白馬岳と木曽駒ケ岳は標高こそ富士山より低いもののあんなものではなかった。
アイゼンとビッケル教えてもらっても無理だった。
必要な筋肉もわかった、普段使っているような筋肉やドラムの筋肉は下山時しか役に立たなかったもんね。
おかげで体がガタガタだ、特に右足全般。

あぁ疲れた。
最高に楽しかった。
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