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Yu-pon失踪の顛末。

明日辺りまででWeb表の文面も消えるだろう。
さぁ、書ける所まで書いてやろう。
けじめもつけとかないとね。
Yu-ponか。

書き終えて思ったけどなんかハードな内容になってるからそういうの読みたくない人は飛ばしておくんまし。
まずは時系列で。

12月4日(金)
都内で1時間のライブ、大団円に終わり楽しい夜だった。
これが最後の別れだった。

12月8日(火)
リハーサルに来ず。
風邪でも喰らっているんだろうと流す。

12月9日(水)
連絡無し、心配しだすメンバー。
だが俺は一向に心配せず。

12月10日(木)
リハーサルに来ず、おかしいかもしれないと思うも尚も俺は心配せず。
何故ならある事から死んではいないという確信が有ったから。

12月11日(金)
捜索開始、即座に失踪発覚。
自宅が中途半端に引き払われていた。
完全なる失踪発覚理由はゴミ袋に捨てられていた光君のTシャツと_ _ _ _*Tシャツ。
他にもこの辺りかという人に内密に打診、次々と当たり情報が寄せられる。
複数の話から総合してまず間違いなく失踪と即日に断定。
ちなみに今もって俺達は本人と会っていない。
どちらにせよ12月14日の仙台公演が間近だった為に協議を計る。

12月12日(土)
Yu-ponの実家へ赴くも決定的な手応え無し。
この時点で相当な人が関わってくれていた、そのおかげで事件の外壁、内装までわかってきた。
その夜メンバー共々話し合う、どうするかなんてわかってるだろ位の勢いで大事なのは1分程で終わる。
そしてある事実から早くも追うのを止める、そして脱退というよりも解雇、危機というよりも非常事態というニュアンスで一致する。
そしてどちらにしても後1日待つ事に。

12月13日(日)
仙台公演1日前、_ _ _ _*はもちろん関係者もそろって設定された場所でリミットまで待っていたが現れず。
同時に公演は協議の結果、キャンセルではなく全て敢行、サポートとしてドラマーのゴロー君が名乗り出る。
俺達には本当に良い先達がいてくれた、キャンセルしていたらクソだった。
とはいえ今もってこういう状態からの敢行は誰にでも薦められるものでもない。
数々の先方から当たり前だけれど何事もないように連絡が来る中、この辺りが一番心苦しかった時期。
ギリギリまで公演各所に連絡するのかしないのか。
出てきたらどうするのかなど身動き出来なかった11日からの3日間。
そしてライブ最悪3人でもライブ敢行のGoサインと同時に公に全てが発動してしまう。
1月末までの10本以上の公演の主催者に始まり、関係諸々に連絡開始。
とにかく謝り倒しながらもどうやって公演を可能にするかを初めて考え出す。

12月14日(月)
昼前から仙台へ、もちろんサポートなど間に合うはずもなく3人で仙台へ。
あの日の事は忘れない。
絶対にこの後動き出したら仙台は真っ先に行く。
あの日会場にいた人達にどれだけ助けられたか。
そして速攻でその夜2時過ぎには帰京、すぐに次の1時間ステージ予定の12月18日の四谷公演へ向けて動き出す。
この頃の携帯電話はやばかった。
仙台からの帰京途中に覗いた携帯は着信70件とかだった。
同時に妙な目撃情報もあった。

12月15日(火)
話を聞きつけて昼頃に自宅にやってきた伊藤ぴょんがサポートとして俺にも弾かせてくれと名乗り出た。
腕っこきのBaにも頼もうかと悩んでいたけれどそれも完全に消える。
腕っこきの0スタートよりこれまでスタッフとしても手伝ってくれて_ _ _ _*を心身共に熟知してくれていたギタリスト、ドラマーの2人のほうがいいと冷静に判断。
甘えてお願いする事に、同時に曲を割り振り5人体制スタート。
その夜ゴロー君と4人でリハーサル。
思っていたよりも原曲近くなっており驚く、即座に5曲確保。
この辺りの流れから奇跡みたいなものが始まる。

12月16日(水)
全く絶えない各種様々な寄せられた情報、ありがたかった。
昼頃には伊藤ぴょんが自宅にやってきていろいろ確認して夜にリハーサル。
トータルで8曲確保、実奏時間にして信じられない事に50分に届く。

12月17日(木)
四谷公演前日にして更に連絡の数が増す。
わけがわからなくなっていた。
この頃になってかなり事件が起こったのが行き届いたようだった。
夜にはまたもリハーサル、5人でセットリストをランスルー。
トータルで9曲確保、少し余裕が出来て完全になんとかなりそうだった。

12月18日(金)
これまで散々世話になってきたスランキーサイドと会場でご対面。
既に内々で連絡はしていて会ってもいたし今回の緊急シフトで必要に迫られた機材面の変更から実用性の相談までしてくれていたけれどバンド単位として対面でど~ん、ちょっと辛かった。
会場の四谷OUTBREAK!にしても当日は詳しい事は何1つ聞いてこず、会場としてのライブのサポートに集中していてぐぬっっ!!て感じだった。
問答無用で良いライブするしか無い状況、ありがたかった。
やっぱあそこは死ねる会場だった。
スランキーサイドがトリにいてくれた事がイベントとしての救いで俺達はまるで初めてライブハウスに出演した頃のような面持ちで始まったライブ。
死ぬ所か活かされてしまった、死に損ないでそこで終わるという最悪のケースがこの日で完全に消失。
ライブ中、会場一杯に空から白い花が降ってきている錯覚さえあった。
この日の打ち上げ辺りから既に失踪がネタと化す兆候が始まる。
俺自身も変に深刻になるくらいであれば誰にとっても笑いになったほうがいいと思っていた。
それは皆があるラインをわかっていないといけないのだからとても難しい話なんだけれど。
この後のライブは日記とは裏腹に会場ではノンキなMCが繰り出される事に、会場にいた人だけが知っているだろう。

12月19日(土)
今思えば…この頃にはもう1時間近くのステージを終えて皆とも話せた事である種の安心を覚えていたんだろうか。
大丈夫だという妙な自信があった。
尚もひっきりなしの携帯を片手に日々を過ごし、リハーサルを繰り返し年末に備える1週間弱だった。

12月25日(金)
次日の三重公演に向けてゴロー君を引き連れ関東を出発。
思ったもんだ。
サポート参加のゴロー君。
_ _ _ _*最初期に吉祥寺のプラKで対バンして出会った。
もう4年くらい前か。
そして俺達が毎回の公演で会場入りしてまず最初に会場に提出するエントリーシート。
最初はお客さんの欄に彼の名前が書かれていた。
ある時にはゲスト欄になりそれが本格的に手伝うようになりスタッフ欄。
今ではメンバー欄にゴローと書かれているんだ。
何の出世魚なんだか…ただメンタル的なポジションはそのまま、彼がいれば何か公演中のトラブルが起きても大丈夫というね。
よく覚えている、後ろから聞こえるとてもくだらん話し声を耳にそんな事を考えながら夜の高速を直走っていたんだ。
ゴロー君は面白い、スタッフとして帯同するようになってある時期を境にどんなに疲れていても誰よりも早く誰よりも元気に誰にでも挨拶をするようになった。
物凄く大事、全力で明確に挨拶をする事によりその後何が起こっても潤滑に_ _ _ _*のスタッフとして堂々と動ける。
また名乗らないが為に発生する妙な悪印象はバンドに直結する、全部ちゃんとしていた。
ドラマーだけじゃなくスタッフとしても最高クオリティだったんだ。
そして毎度の如く帰陣の際の車中では使い切って寝落ち。
俺は彼のドラマーとしての成功を心より願っている1人だよ。

12月26日(土)
三重clubCHAOS。
名古屋からも遊びに来てくれて驚く、1月名古屋にも行くのにね。
相変わらず謝り倒すもある要人に冷静冷酷に分析されこんこんと諭される。
この時既にあるお方に確信持って言われたもんだ。
今後もドラムを前に出してやったほうが絶対に良い、やっと見つけたなと。
この時はまだわかってなかった、それがどういう事なのかを。

12月27日(日)
奈良NEVER LAND。
人とは恐ろしいものでこの頃になると俺達もこの体制に適応していた。
その証拠に近くの中古屋さんで発見したお宝機材まで購入していた。
現状などどこ吹く風か。
この日が本格的に現体制でのクオリティを見出した日だった。
スタッフさんも良くしてくれて奈良の夜はとても賑やかだった記憶がある。

12月28日(月)
京都MUSE。
これまた散々お世話になってきた制作の金古さんとようやくご対面。
いろいろと話し込んだもんだった。
そして変わらない音圧で音が飛ばされたもんだった。
京都には行かなきゃいけない理由がまた出来た。

12月29日(火)
オフ。
相変わらず関係諸々に連絡を飛ばす、が全然追いつけず。
そして次の日の難波ROCKETSの準備に入る。

12月30日(水)
気付けば年末も年末、もう晦日だったんだという有様。
オールナイトイベントで大阪らしい日だった。
なぜにドイツソーセージ食い放題ドイツビール呑み放題なのか。
頼むから来年も呼んでくれ。
11月の大阪ワンマンからまさかたった1ヶ月でこんな姿になっているとはね。
当然会う人の数も全然違い、いろんな人といろんな話をしていたもんだった。
本番見れないのに会うだけの為に来てくれたりさ、泣けた。
ちなみに失踪コールの発祥はこの日だった。
楽しかった。
確か…23時半近くからのステージだったんじゃないだろうか。
俺はセンターのVoを横目にやりやすいったりゃありゃしなかった。
なんという皮肉。
三重で言われた言葉がここではっきりとわかった。
もしかしたら_ _ _ _*はずっとこの配置でいくかもしれない。
そして緊急事態が発生したんだった。
どうやらストレスがかかっていたみたいで自らピーポー。
痛かったなぁ、でも1時間半後には会場に戻っていた。
なんとか無事に終える。

12月31日(木)
携帯料金が真剣に心配になる。
比較的穏やかに過ごし個人的には10数年振りの家での年越しを体験。
結石抱えながらも夜には初詣と同時にこの一連の流れからの無事を心より感謝する。
絶対何かに守られていたぞ。

1月1日(金)
昼まで寝る、腹の激痛が時折襲ってきて恐怖しながらも夜には大阪の新年会に顔を出したり銭ゲバに立ち寄って書初めをしたりする。

1月2日(土)
夜に帰京。
全部ゴジラで吹っ飛ばしてもらいたいくらいの渋滞で11時間をかけて東京着。
一応落ち着いたんだった。


この後は1月16日から18日まではゴロー君と共に伊藤ぴょんも遠征に帯同し、完全なフルセットで。
何の問題もなく1月の残りもライブ出来たんだった。
奇跡だ。
1月25日には2度目のピーポー、結石暴れ足りずだった。
痛いからやめてよ。
1月29日に至ってはセットリスト自由に組めた始末、なんて事だ。
誰だ、キャンセルなんて言い出したのは。
俺か。
こんなにも世話になりながらだけれど呆気なく乗り越えたじゃないか。
報告しても誰も嫌な顔しなかった、驚いてはいたけれどこの後どうするのかを真剣に話し合ってくれた。


さてさて、Yu-ponね。
今日で彼の事を真剣に書くのは終わり。
最初で最後になる。
この後はネタになっているだろうね、悲劇的ではないんだから。
Webの文面も今日明日辺りで取っ払われるだろう、だから少し書いておこう。
目撃情報も多々、そのどれもがフードを目深にかぶって2人連れだとの事。
共通しているのが誰かが見つけても絶対に誰も声をかけないというね。
こうなってしまったのはとても残念だ。

4年という月日はあまりにも長く短くもある。
彼にとってなんだったんだろうか、個人としてマイナス以下になってしまったのだから。

この段に至っても全てをここに書けないのが残念だ。
それは表面的には俺は皆に嘘を吐いている事になるんだろう。
本質的に発されるような嘘が大嫌いだ。
誰かを巻き込むような嘘はもっと下劣なものだ。
なぜなら嘘吐きだった俺はその心理を容易に理解出来る。
何やっても無理なんだ、俺だってそれくらい知ってる。
それでもね、こんなとこで書けない。
背負わなければ、知った所で誰の為にもならないだろうから。

…たった1つ、どうしても許されない事を犯していた。

たった1つ、でもそれが致命的だった。
生死に関わる話でもあった。
それに付随する無数のエピソード。
知らなかったのは俺達だけだったのかもしれないね、信用と書けば安易だけれど疑っても聞かないのも信用だと信じていたのか。
どちらにせよそれが追うのを止めた理由。
そしてこの結果。
私情挟めば別だけれど社会的に到底許されないたった1つ。
ずっと一緒にやってきてさ、なんでだろうという疑念だけが残っているのが実際の所。
かといって裏切られたかと言えばそうも思っていない、多分メンバー一同そうなんじゃないだろうか。
バンドなんてやりたい人間がやりたい場所でやるものだろう。
仕方ない、だっていずれにせよ起こっていた出来事が守るとかの次元じゃなかったんだから。
なぜいなくなった事自体が悲しくないのか、これがとても悲しい、でも時間は止まらないんだ。
美化されぬ思い出がまた1つ。

恐らくYu-ponは_ _ _ _*が全国リリース前の一番苦しい時期だけを体験して去ったんだろう。
全部嘘だったとは思いたくないけれど、そう思わなければ前進出来なかった12月の俺達。
それまで多少うねった河の流れのように感じていたのに突如として目の前に開けたゴツゴツとした岩場だらけの10数本のライブ、都内だけならまだしも遠隔地。
誰がそんなスケジュールを即座に空けれるのか。
一瞬は暗い景色だったろうけれど開けた今は少し変わった。

ここまで広くこうなってしまって失踪したこのままでは名乗り出なければ公然と音楽活動など再開出来ないだろう。
ここは人の世なのだから。
もしどこかでそうなっていて発覚した際にはえらい事になる。
頼むからこれ以上迷惑が誰にもかからなければというのを初詣で願ったもんだった。
未だに燻ったその火種だけが唯一の心残りか。
でもね、ここで一端終わらそう。


Yu-ponが残していった所有物も昨日から着々と処分に入っている。
何も残さない、それもけじめだ。
そして次へ。
ただ…う~ん、いいやいいや。

音源は_ _ _ _*間もなく新録に入るからまだいいけれどさ、どのみち「閃」はあんなにプレスしたのにもう数少ないし。
光君デザインのTシャツやDVDも色々な事情からしてダメっぽい。
だから皆大事に持っていてね。
でも写真家の池田"SOULGRAPH"マサアキ氏撮影の作品だけは残せそうで一安心。
もうすぐWebにも復旧するだろう。
他にもいろいろあるんだけれどね、そんな所になるだろう。



世話になった。
サポート参加のゴロー君、伊藤ぴょんはもちろん各会場の主催者、対バンの皆。
関係者一同、この1ヶ月半は忘れない。
_ _ _ _*は初めて自走出来なくなり後ろから押してもらったんだから。
そして何よりもいつも遊びに来てくれていた皆、変わらずに騒いでくれた皆、心からの声をかけてくれた皆。
その1秒1秒に感動し全てを委ねれた。
ライブ中って便利でさ、汗と涙ってわからないのね。
おかげで俺達は活かされたんだろう、皆がいないと無理だったんだ。
だからこれからも堂々と音を出して往ける。
ありがとう。
これからしこたま恩返しするから許しておくれ。

ありがとう。






どうせ読んでるだろうし
最後にYu-ponへ。


お前アホやろう。
結局最後の所は最後まで認めれずに終わってしまった。
あんなに求めてたのに無理やった、その原因は自分自身で一番わかってるやろ。
ずっと思っていたのが的中してしまったし時期も当たってたわ。
これはちょっとどうしようもない、出てこないから庇いようもない。
許せ、公ではそれはまかり通らん。
知らんでいい事まで全部知ってもうたやんけ。

終わったで、4人がいた時に受けたイベント全部終わった。
わかってた、きっとずっと前からこうなるかもしれんのがわかってた。
でもBa弾いていたお前だけは嘘じゃなかったやろう。
楽しかったな、だから4人で一緒にやってこれた。
しんどいのが大半やったけどさ、最初のワンマン終わった時メンバーでただ1人流したお前の涙、俺は忘れんよ。
あはは、そういえば俺の真似して冬にタンクトップになって風邪ひいてたな、ぶはは。
そうそう、結局サイドミラー割ったままバックれたな、おもろいやん。
「閃」をRecした日とか…ビンテージの4弦ベース仕入れてきた日とか…うん。
四谷に飾られた4年前当時の写真、そしてWeb上の写真、それだけは残しとくわ。
後は各々の胸にな。

お前が誰かに言っていたほとぼりが冷めた頃にでもいいからさ、堂々と出てきて行脚して全ての人に対して全てを謝れ。
そして全てを清算しろ。
遅ければ遅い程あかん。
これが俺が最後に言える唯一の進言。
そうしなきゃこの4年が遥か先々までまるまる重くのしかかるだけ。
まさか忘れたわけじゃないやろう?
あれだけたくさんの人に出会って世話になりここまで無事に来れた事を。
そしてずっと横に並んでいた飴奴、ジンの面影を…皆全く変わってへんぞ。
俺達はここにいるで。

それに…俺はまだお前の事を信じているわ。
これだけ謝り倒してたくさん迷惑かけてもな、まだ信じてるわ。
なんでやろうか。
今のお前にそんな人がいるのか?
5年後も?10年後も?それだけが個人的に心配かな。
フード被ってこそこそ○○街歩いて何が楽しいねん。
誰か注意したれよ。

最後の最後かもしれんけど…人として人に対して自立した精神性を見せてくれるはずやと信じるね。
お前は間違いなく_ _ _ _*のYu-ponやった。
だから苦も無く全員で火の粉を被ってるねん。
ここまで一緒にやれた事を感謝してるわ。
次どこで会うかわからんよな、会うのかもわからんね。
元気でやってけるならどっちでもいい。
お前の思う物を自分で掴め。



じゃあな、ゆうすけ。

ありがとう。

バイバイ。
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