スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

沖縄戦線。

真面目に書いたけれども、ちょっとどんよりさせてしまうような日記なので嫌な方は今日は止めといたほうがいいです。

今までよく知らなかったんですよね、沖縄戦線。
アメリカに蹂躙されたとかね、火炎放射器で壕ごと焼かれまくったとか公式的に語られているものくらい。
教科書なんて嘘だった、何が本当かわからない。
タイムマシンってものがあるのであれば見てみたい、戦争ってやつを。
何があったのか、どういうことが行われていたのか。
なんで未だにアジア諸国とそこまでの軋轢になっているのかますますわからなくなっていく。

俺にとっての戦争の入り口はこの一言からだった。
幼少時、映画のランボーを見てた時に頭を触って爺ちゃんが一言。
俺の名前を呼んで、

「こんな人、真っ先に殺されるんや。」

どうにも我慢出来なかったんじゃないだろうか、ランボーを戦争として俺が認識してしまうのが。
そこから本当にあった話を事細かに聞き出せるまで随分時間がかかった。
なかなか話してくれなかったんだから。

死んじゃったけど俺の爺ちゃんは硫黄島。
戦局も末期に差し掛かった頃に初めて赴任した場所。
当時疎開なんかにも使われていたらしく、戦地になるってことがわかって住民と入れ替えで現地入りしたらしい。
旅団砲兵っていう部隊に所属していて、そこで15人ほど預っていた。
あの星条旗を立てた写真で有名な擂鉢山と司令部の地下道を今で言うスコップみたいなもので防毒マスクを着用しながら掘って、戦闘時は後方から米兵、戦闘機にも砲撃。
たくさん墜としたって呟いていた。
でもすぐに補給が来なくなって、それからは地獄だったって。
最初の頃は視認出来る米海兵隊に当たるなって思って撃ってたらしいけれど、そのうち弾が少なくなってくると心底当てようとしていたって。
1発撃つと100発撃たれるかのような物量の差。
そして敵艦隊の射程距離が1m間隔で近くなってくるのがわかるんだって。
ジリジリと敵砲の着弾位置が近くなってきて、それに対してジリジリ下がりながらぎりぎりで応戦していたとのこと。
想像出来ないじゃないですか、修羅場なんてもんじゃない。
爺ちゃんは見晴らしのいい場所に陣取って…とはいえ隠れながら移動しながらだけど、本土からも神風特攻隊がやってきて戦艦に突撃していたのが見えた、それが戦意向上に繋がったって。
戦闘期間のほとんどを地下道で過ごしていた、でも水がないから雨が降った時なんかは必死で溜めていたらしい。
でも戦線がどんどん内陸部に達してきて弾も尽きて連絡網も遮断。
残されたのは銃剣のみ。

当時の日本兵って世界的にも珍しい万歳攻撃っていうのがあった。
硫黄島では最後の最後まで禁止されていたけれど、人間魚雷「回天」、人間爆弾「桜花」、特攻艇「震洋」、それの生身。
そんなの何も出来ないじゃないですか。
武器弾薬尽きたらもう銃剣やら刀で敵の真正面から叫んで突撃していくっていうもの。
「生きて虜囚の辱めを受けず」って言葉があるけれど、これが後で書く沖縄戦線でも最悪の結果を生むことに。

それで爺ちゃんは地下道の中で銃剣一本で戦った。
地下道と言っても爺ちゃんがほぼ単独で主戦場に選んだのは寝そべって匍匐でやっと人一人が通れてさらに防毒マスクが必要なくらいの場所だった。
地上は米兵だらけだけれども警戒してあまり入って来なかった。
ベトナムとかが有名じゃないですか、トンネルだらけの話。
硫黄島も同様だった、地盤が脆くて掘りやすかったらしく縦横無尽。
でもやっぱり遭遇したらしく、その脇に自分が埋まれるくらいの穴掘って隠れる。
真横を通った最大限に警戒しているはずの米兵の喉を一刺し、そして移動の繰り返し。
相当賢かったんだろうし洞察力やら判断力、身体能力も備わっていたんでしょう。
じゃないとそんな話信じられないし、もしそうしていたとしても生き残れるわけがない。
暗闇の中、水も食料もなく極限状態の中で約二日頑張ったけれど最後は今で言うガソリンみたいなものを流し込まれてまとめて燃やされる寸前にやっと降伏したとのこと。
信じられないし信じたくもない、もっと酷い話あったんだんだろうけれどそれ以上は話してくれなかった。
もはや言えない事がたくさんあったはずだ。
降伏してからは凄く人道的な対応でびっくりしたって言ってた。
最初から降伏してればとは言わなかったけれど、知っていればまた違ったろうに。
生き残ったのは5%にも満たなかったっていうんだから。

そして沖縄戦線。
上で書いたのって局地戦もいいところで、何より民間人がいなかった。
すでに避難していたから。
だから戦闘に集中出来たんでしょう、自分達で戦うしかない。
俺も実際に聞いていた話はそこまでだった。
でも沖縄は違った。

某バンドマン達との打ち上げの席でのこと。
聞いた話によれば沖縄の人達にとって一番怖かったのは米兵ではなく日本兵だったとのこと。
ひたすら信用出来なかったって。

なぜ??

「生きて虜囚の辱めを受けず」

こいつのせいで絶対に降伏は許されなかった。
降伏すれば助かるのに、世界を見渡しても狂信的な思想。
市民が一塊になって防空壕に隠れているわけです、そこには必ず日本兵もいる。
入り口はカモフラージュしているものの、すぐ外には装備の整っている米兵がいる。
息を潜めなければいけない、その時泣き出してしまった赤ちゃんが。
すると日本兵は言ったんですね、殺せと。

殺せますか?

殺せますか?

これを殺させていたのが沖縄戦。
殺せるわけないだろう。
こういうのって国立図書館に行っても残っている文献ってのは本当にわずか。
ネットのほうがまだ情報取れる。
降伏すれば助かったはずなのにって話でした。
またある時は食い扶持を減らす為に住民に自決を迫った。
有名な話ですよね、大陸の戦争は住民を巻き込んでの戦争に慣れていたというのもあり少なかったらしいけれど、島国の日本ではこうなってしまった。
絶対に、絶対に、馬鹿にするわけじゃないけれど、これじゃ沖縄の人達はどっちに殺されたのかわからないじゃないですか。
盾にもされた、守るべき自国民を自国軍が敵国に対して盾に。
方言使ったらスパイだと見なされて殺されたり、今から考えるともうめちゃくちゃ。
日本軍にとっては本土決戦に向けての時間稼ぎにしか見られていなく、何の展望もない絶望的な戦闘。

結局原爆が投下されて本土決戦には至らなかったけれど、もしそうなっていたら…きっと日本は今ほど繁栄していなかったんじゃないだろうか。
だめだ、何を書いても語弊が発生しやすい。
原爆を肯定しているわけでもないのに。
何の専門知識も無しに仮定の話はよくないんだろうけれど、そう思います。
もし俺が戦争に行ったらどうするんだろうね。
絶対殺せないと思っていても、いざってなったらやっぱり殺すんだろうか。
周りの大事な人達が殺されて陵辱されてるのを見ながら黙って殺される事が出来るんだろうか。
きっと出来ない。
手持ちですぐ傍にある包丁なんかで守る為に人刺せるんだろうか、爺ちゃん教えてくれ、勝手に死ぬな。

こんな事を書いていても実際には当時何が起こっていたのか何も知らない俺達です。
80歳以下の人はもうわからないでしょう。
南京大虐殺だって何も無かったわけないけれど、なんであんなに未だに話が錯綜しているのか。
絶対に知らない、アジアの人達にもどんなに酷いことをしていたか。
この目で見ないと絶対にわからないものがある。
でもそれじゃすまされない時がきているのかもしれない。
何があったのか。


最後にもう1人の満州に赴任していた爺ちゃんから聞いた有名な話を1つ。

13!13!13!

井戸の傍で叫んでいた中国人が1人。
それに気付いた日本人が聞きに行った、何を叫んでいるのかって。

13!13!13!

それしか言わない。
ふと井戸を覗いてみるとその中国人に後ろから不意に井戸に突き落とされた。
そしてまた叫んだ、今度は……

14!14!14!


これが…日本で言うところの喜劇になっているそうです。
日本が当時、各地で実際に何をしたのか知りたいと思うのは俺だけじゃないはずです。
スポンサーサイト

コメント

コメントの投稿


管理者にだけ表示を許可する

トラックバック

トラックバックURL:
http://drpan.blog73.fc2.com/tb.php/206-c581e9f7

FC2Ad

相続 会社設立

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。