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気持ちを込めて

気持ち。気持ち。気持ち。気持ち。
うん、こうして書いてみるとおかしなもんだ。
気を持つと書いて「気持ち」。
それを込める。
気を持って込める。
なんか本格的にわからんくなってきた。

言葉自体は考えたらよくわからないけど、リタリンは今気持ちを込めるということが合言葉まではいかないけど、とても大事な要素になってきています。
わかりやすく例を挙げると体で表現する、顔で表現する、熱で表現する、あわよくば巻き込む、こんな感じです。
例えばギター弾きながら動こうとする。動くのは動ける。動くのと動けるのは全く違う。
曲に必要な動きであるのか、流れに逆らっていないのか、精神が自然に曲とリンクできているのか。できているならば、自然に動けるだろうし見ている分にも聴覚視覚ともに刺激され、いずれスリリングなステージを展開できるはずだ。
動こうとするというのは無理にというニュアンスであって、それは視覚的にはノレない。
俺の場合はドラムだけど、曲に入れていないと頭を上下することさえできない。
正確にはできるんだけど、それは曲というか体の動きと曲を無理に合わそうとしていてどこか不自然になってしまったり。
元来、自分達が音楽を通して楽しめているはずなら体は自然に動く、音楽ってそういうもんだと思うし。それをどうしたらたくさんの人に伝えることができたのならば、少しであっても良い時間を共有できる。凄いことだ。
きっかけは音楽、ただ音を出しているのが偶然俺達というだけであって、奏者もオーディエンスも垣根などない。聴こえる、見える、感じることが全て。
それだけが真であって、理屈なんて後からでもたくさんつけれるだろうけど、その瞬間を大切にしたいという気持ち。
そう、それをいかに込められるかが分かれ目なんじゃないかなぁって。
何故込めるかっていうのを考えてみたら、俺の場合何やってても1人なんかじゃほとんどのものが楽しくない。
飯食うのもなるべくなら誰かと食いたい、例え口論になって後味悪いものになってもそれが意義深いならそっちを選びたい。
街歩いててもいつも1人じゃ行きにくい場所ってある、会話を楽しむことを前提に作られたような場所なんかがそう。たくさんある、皆誰かとそこに行きたいからだと思う。
会話、そう、会話。
それができる場所の一つがライブハウスだと思う。
まだ楽器が手につかない頃は、「僕達はこれだけ頑張ってきましたので、その成果を聴いてもらえませんか?」てな感じ。
少し板についてくると、「今日はうまくやれるかな?わかんないけどとにかく頑張ってみよう。」
少し舞台慣れしてくると、「かましてやる!前よりできるはずだ!」うん、ここでもまだ自分のことだけくらいか。
それが落ち着いてくると、「今日はどうか皆に楽しんでもらえるようにしよう。」
確信が出てくると、「今日はどうやって皆を巻き込んで気持ち良く帰ってもらおうかな?」みたいになる。ここまでくると周りがリアルタイムで見えていて、一体感を持ったいいライブができるようになっていると思う。
そこから局面に出会うと、「どんな状況でも自分達のスタイルでしっかりやれば絶対に大丈夫だ!」みたいになって強くなっている。
どちらにせよ、この過程、それ以外も無数にたくさんのケースがあるんだろうけど、確実に必要なことが1つある。
気持ちが無ければ全て成立しないし、もっと良い景色を見ることもできないだろう。
悩むだろうし、考えるだろうし、迷う。
その全てを自分自身で体感、痛い目見て必死で1つ1つ解決していった先にあるもの。
何だろう?
会話をする、思いやる、自分の気持ちを伝える。
自然だ、ごく自然の流れ。
これこそが俺がバンドやっている1番の動機かもしれない。
いつまで続けていくことができるんだろう、この幸せのサイクル。
終わりはどこまでも近くて遠い。。。伝えねば。
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