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一連の流れを振り返って。

今回アップさせてもらった記事、これはもう御存知の通り四谷OUTBREAKの広告スペースだったんですよね。
それで普段から何か書く所はないか~ってうるさかった俺に、あの佐藤"Boone"学が話をふってくれたんですよね。
当初より一定のテーマは設定されていたわけでその話を俺なんかにふれば何を書くかくらいは想像出来ていたはずです。
それを望んでいたんだろうし。

ここで一つ、個人としてよりも_ _ _ _*として四谷OUTBREAKとの付き合いを書いてみようと思います。
今回だけは…。

2005年4月、_ _ _ _*の前身バンドである改名前の「リタリン」。
オープンして間もない四谷OUTBREAKに初めて出演した時でした。
それまでは音楽的な素養はほぼ皆無、ただやりたい放題暴れたい放題で1人完結型のバンドだったと思います。
どことは書けないのですが、どこのライブハウスにも相手にしてもらえず、絶対に良いところもあったはずなのに全否定の連続。
その時なりの渾身の余興を演じたところで日を埋めるだけの頭数でしかなく。
ライブ終了後に事務所で言われる言葉は決まって…

じゃあ次はいつにする??

当時の俺達に活動拠点と言える場所など存在するはずもなく何をどうすればいいのかさえわからなくなった瞬間もあったものです。
元より世間的に良いとされる音楽を毛頭やる気の無かった…出来なかった…俺達は自分達の表現というものを取り上げられたら何が残るんだと。
常に常にムカムカとしていてこの違和感はなんだろうと思っていたもんです。
一歩間違えれば既にこのバンドは無くなっていたかもしれません。
そんな時、薄らと四谷サイドとの接触がありました。
2003年の冬、更に時を遡って俺とVoのcandyが組んでたリタリンの前バンドを今の秋元さんが池袋LiveInnRosaで見てくれていたんですね。
そして声をかけてくれていたんですよね、秋元さんのイベントに出ないかと。
それから2004年冬に新しく立ち上がったリタリンとして新宿LiveFreakでまたも偶然再会した秋元さんは今度新しく出来るライブハウスの店長になるのだと。
それが全ての始まりだったんですね。
そう、あれが始まりだった。

佐藤"Boone"学。
その男がいたんですね。
ライブ終了後の打ち上げ、当時うちの主軸であったある曲を絶賛する。
それまであまりにもコケおろされてきたが為に、なぜ絶賛されるのかわからないメンバー一同。
そして始まった会話が…。

「俺はMじゃない、ドMなんだ!!」

なんだここは…!?
第一印象がごく最悪の部類だった事を覚えています。
彼が嘘や愛想などで話してくるはずもなく、何かを見つけたのでしょう。
手痛いことを無神経にもズケズケ言われた挙句の果てには彼の性癖…。
そうこうしているうちに朝…、不思議と打ち解けていたんですね。
腹を割っていたじゃありませんか。
それまでの俺が知っていたライブハウスと比べると明らかに異質。
先のコメントでも書いていたように彼は言うわけです、育てている意識はないと。
当然でしょう、曲制作に関わる立場ではないし、具体的なコンセプトやステージングなどをスタジオワークで構築するわけでもなく。
しかし彼は俺が知る限り唯一の男。
バンドの熱をそのまま受け止める度量があり、それを倍返しで放り投げてきたわけです。
睡眠を削って遊ぶ時間を削って。
息を吹き返した俺も負けじと次から次へと難題を投げかけようが簡単に投げ返してくるわけです。
当たり前の事だったのかもしれない、人が人と向き合うということ。
それがなぜあの時はあんなにも新鮮に感じていたのだろうか。
毎回のブッキングがとても有意義であり、貴重な出会いであり、店長の秋元さんも言語では伝えられない化け物ドラマーであり純粋にプレイヤーとしての豊富な経験からくる指摘というのは音楽的な素養をどんどん深めてくれたんですね。

3度目の出演であった2005年5月。
忘れもしません、出番は1番目。
なぜかお客さんはホールの真ん中にポツンと1人だけ。
でも見守られているという安心感もあり何も揺るがなかった。
あのDJ卓から1人、イェーイとかホーホーって言ってたもんです。
泣けるじゃないですか。

そのわずか9ヶ月後。
2006年2月17日。
360°ステージでの完全ワンマン。
要するにドラムをホールの真ん中にセットし、ステージ上には人、人、人。
会場にいた人間は150人超。
未だ音源作品を発表していない俺達の唯一の映像作品です。
タイトルは「奇跡の足跡、さよならリタリン」。
これを第二回の改名ワンマンで発表したのみですね、そのまんまです。
これが_ _ _ _*と四谷の付き合いの始まりのエピソードだったと思います。
もちろんその後も継続されていっているわけですが。

どこにも相手にされなかったバンドが、今となっては仙台、名古屋、大阪に拠点を持ち、ゲストで呼ばれるまでになり…
今後さらに展開をしてどうなろうがルーツはルーツ。
それでも彼は言うわけです。
育てている意識はないのだと。
じゃあバンドとライブハウスの関係とは何か。

今は四谷に帰ってくるなと言います。
じゃあバンドとライブハウスの関係とは何か。
考えましょう、誰にとっても結論はそれぞれのものです。
それぞれの脳味噌をこねくり回して。

こんな事を日記に書くのは今回が最初で最後でしょう。
レンタルスペースという御意見はさすがに俺も驚きました…完全に事件でした。
俺にとってライブハウスとは自身を最も強く感じれる場所です。
あんな入り口に過ぎないつたない文章でも絶対の信頼があったからこそ書けたのでした。

これからも_ _ _ _*のバンド活動とは別の所で常に内在している問題として考えていきます。
そして人と話をします。
あれだけの反響があったということが奇跡だと感じます。
これからもたくさんの人に見てもらっていこうと思います、無駄にはしません。
特にコメントを頂けた方は凄く考えて書いてくれたのだという事がわかる内容であり、とても貴重なものです。
後の人間が必ず活かせるものです。
俺も多大な幅を与えてもらう事が出来ました。

明日からは普通の日記に戻ります、ここで一度締めさせてもらいます。
熱の無い文字で伝わりにくいかとは思いますが…、
ありったけの気持ちでありがとうございました!!!!!!!

感謝!!!!
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