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楽にしてあげたい。

既に祖父2人と祖母1人は亡くなってしまっています、そして最後に残った母方のお婆ちゃん。
どうやらもうかなり危ないらしいとの一報が昨日の深夜に。
危ないらしいなどと他人事のように書いてしまったのは本当にもう楽になってもらいたいんですよね。

抱えている病気。
脳梗塞。
心臓病。
リュウマチ。
糖尿病。

どれだけ辛いんだろうか。
食べたいもの食べれずに薬の投与でしか日常生活を営めず、その薬のせいで併発していった心臓病、リュウマチ、糖尿病。
そのくせ会えば帰ってくるなというお婆ちゃん。
俺の生まれは石川県で、小さな頃は夏休みともなれば大阪から石川へ必ず遊びに行っていたもんです。
確かな記憶じゃないけれど、5歳とか6歳の頃に海に連れて行ってもらっていた。
それで俺は波に流されてしまった浮き輪をどうしようもなく眺めていたんですよね。
するとかなり流されてからそれに気付いたお婆ちゃんは凄い勢いで岩場から飛び込んであっと言う間に浮き輪確保。
もうその頃でも60歳近くだったろうに。
おかんが言うわけですよ、昔はオリンピックの選考会で泳いでいたほどだったんだって。
調べてみると本当に名前が記録に残っていた、まじかよ。

実は俺のルーツってはっきりとはわからないんですよね。
そのお婆ちゃんの比較的近い先祖が東南アジア系だとも台湾系だとも中国系だとも、何の血が混じっているか実はわからない。
ただ、お婆ちゃんは幼少時は満州、そして台湾に住んでから日本に来たんですよね。
後は全部知っているんだけれども。

もうだいぶ前に旦那さんだったお爺ちゃんも亡くなっていてね、そのお爺ちゃんもまたくせものだったんだけれども。
体悪くなって市なんかに書類を提出すれば余裕で障害者の最高ランクなんですよ。
なのに独り暮しで石川県で頑張っていた。
ある時から限界に達して大阪に移住せざるを得なかったんだけれども。

人が死ぬということ。
例えば父方の祖父は癌。
その祖母も癌。
本人も容易に受け入れれたし余命宣告されてその通りだったんですよね。
併発症もなかったもんだからまだよかった。
比べるのはなんだけれどもいくらかはましだったと思います。
悲惨だったのは今危ないお婆ちゃんのほうのお爺ちゃん。
もうかなりの歳で働かないでいいのにさ、東京に出張で出てきてそこの宿泊ホテルでクモ膜下出血、この病気って相当痛いらしいんですよね。
頭が割れる、そのまんまの病気。
すぐに病院に駆け込まないといけないのにシャワー浴びてる時にきたらしく。
もう意識失った状態でシャワー室で発見されたんですよね。
とてつもない悲しみ。
偶然だけれど俺は東京にいたのになぜ…。
徹夜のまま霊柩車を先導するようにね、いろんなものを食い縛って東京から関越道、北陸道を走り抜けて石川県に向かったもんでした。
お爺ちゃんの遺体が後ろを走っているんだって現実が刺さって何度ふらついたか。
そのお婆ちゃんはお爺ちゃんの墓のある石川県からかなりの間離れようとしなかった、ガンコだけれど…ガンコだけれど誰がそれを止めれるものか。


そもそも最初に脳梗塞になった時から驚いたもんです。
俺のせいだと言っても過言ではない理由。
当時イタリアに長期滞在していたんですよね。
それならってんで旅行がてら遊びに来たお婆ちゃん。
良い孝行が出来るかもって調子乗っていたんでしょうね、俺は。
それがいけなかったんだ。
恐らく死ぬまで忘れられない痛恨のミス、なぜ来るのを止めなかったのか自分の無知に嘆いたところでどうしようもなく。

エコノミー症候群、最近の有名な話ではサッカーの高原選手がかかってしまってW杯選手選考から漏れてしまった例がありますね。
日本~イタリア間、確か12時間~14時間ほどのフライト。
それの重度だったが為に脳梗塞を引き起こしてしまった。
元々最後の海外旅行だって本人も言っていたんだけれども。
ミラノのホテルでね、バイキング形式のレストランで食べようとしていた時だった。
チーズみたいなものをフォークに刺すのになぜか苦労している。
おかしいなと思って観察していたらなんとフォークに刺したチーズを口に運べないじゃないですか。
どうしても口から少しずれた所にチーズを運んでしまって口に入らない。
よく見れば左目が瞬きしていなくて、表情も自然に歪んでいる。
その当時、今よりももっともっと無知だった俺はそれがそういう病気だとはわからないなりにも、その様子を目の当たりにしてかつて感じた事の無いような相当な嫌な予感がしたもんです。
しかしここはイタリア、病院に行ったとしても片言の俺が症状なんか説明されたところでとても理解出来るとは思えない。
それでも予定という予定を全部キャンセルして辞書を片手に病院に行ったもんでした。
そこで告げられてなんとか把握した病名が脳梗塞。
左半身が麻痺しかかっていると。

困りました、とても困りました。
簡単に日本には帰れない、なぜなら長時間のフライトで脳梗塞を悪化させてしまえば完全に左半身が麻痺するかもしれない。
それどころか機上で容態急変も容易に有り得る話。
半植物人間、それはなんとしても避けねば。
船?それこそ時間がかかり過ぎる。
結局俺はわけのわからない医学の専門用語を相手に10日ほど病院に篭もって、その間に日本から2人呼び寄せてね。
日本へ帰る飛行機もお婆ちゃんの為に3座席確保して横に寝かせて、なんとかなんとか帰ったもんでした。
博打だった。

あれから7年。
続々と投与された薬のせいで元から抱えていた心臓病は悪化、そして糖尿病とリュウマチが併発。
しかし延命にはなっているのも事実。
今抱える細かい病名全て挙げれば10は越えます。
そして今危ないとの報告が。
でも俺は諸事情でまだ東京に留まっているんですよね。
きっとあの時のように持ち直してくれると信じて。
だってまだ石川県で独り暮ししたいって言ってるんだから。


本音はね、好きな石川県の家で好きな物食べて好きなお爺ちゃんの墓参りをしてね、友達とかともお茶してさ。
そのせいで死期を早めて例え1人で苦しんで死んだんだとしても今のように病院でがんじがらめになっているよりは幸せだったと思うんです。
そんな簡単な話ではないんだけれども。
その点、好きな仕事で東京で亡くなったお爺ちゃんのほうが最後まで好きな事して好き勝手に亡くなったんだから…振り撒いた悲しみはとてつもなく大きかったけれども、本人だけはよかったんじゃないだろうか。
病院とは時としてとても残酷なもの。
だって助かってしまうんだから。
これも人間の勝手な都合でしかなく不条理なものです。

何を書いているんだろうか、俺は。
矛盾している…。
助かって欲しいけれど楽にもなって欲しいとでも?
それは無理な話。
でもやっぱり強く感じるのはどうなろうとも楽になってもらいたいという気持ちが大きいわけで。
数多の悲しみとは別の所に存在するこの不思議な感覚。
近く大阪へ帰ります。
きっとお婆ちゃんは最後の最後にとんでもないものを俺にくれてやろうとしています。


希望。


あぁ、なぜあの頃の楽しかった思い出ばかりがよぎるんでしょう。
俺はいつでも勝手な人間。
死に価値を見出すという事がどれほどの素晴らしさなのか今更ながらに痛感します。
受け取らないと。
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