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自由の過去とは。

あの歳であれだけしっかり謝れただろうか。
いろんなものひっくるめてさ、あそこまで謝れただろうか。
俺はきっといらないプライドが邪魔して謝れなかったでしょう。
素晴らしい、根性者だ。
きっと試合するよりもよっぽど振り絞ったはず、本当に強いんだからやり直せばいいじゃないか。
ちんぱんです。


最近思う事。
自由とは何か。
どこでだって何かに縛られているわけで。
つまり自由とは過去を切り離す事でしか得られないんじゃないかと。
何も無い…完全なる0スタート、そして独りきりである事。

本当にフラットな自由なんてどこに存在するというのでしょうか。
例えばある種の自由を掲げて、俺は自由だ!って宣言したとして…、それを周囲の人間もその人が自由だと認識出来なければ成立しない自由というものがほとんどなわけで。
じゃないとあまりにも簡単に自由ってものを侵害する事になるからね。
極端な話だと電話がかかってきた、眠たくて寝たいけれどかけなおしたなんて話よくあるもんです。
生活に支配されているわけで要するに自由ではないという事。
極端過ぎるかもしれないけれど、書きたいのはそういう根源的な事なんですよね。
要するに自由っていうものを奪っているのは単純に社会。

なんだろうなぁ、わかりやすく最も手に入れやすいのが経済的な自由だと思うんです。
それに次いで心の自由なんかがくるんじゃないでしょうか。
後のほうが難しいはず。
だからといって働かなければ本当に何も出来なくて周囲に迷惑をかけるだけで。
迷惑をかけていないつもりでも存在そのものが迷惑がられていたりするとその時点で他人の自由の侵害であったり。

じゃあ例えば完全に自由になったとしましょう。
明日から死ぬまで自由でいいよ、食べれるし行きたいとこ行っていいし遊び続けていいし好きな事やりつづけていいよって。
この世界は完全に崩壊しますよね、退廃するしかない。
だったら結局自由なんてその時には存在していないわけで。
食うもの誰が作るんだ?
皆裸になって原始時代に戻りたいってのであればいいけれど。
それはそれで自由かもしれないですね、よりよい自由を掴む為に動き出すのかもしれない。
それが自由か不自由かは当人のみが知るんだろうけれど。

あ~、ややこしい話ですね。
そして自由自由と言っていればそれに縛られているわけだし。
何が自由なのか、それを考えるのもアホらしくなっていたのですが最近は何かが変わってきています。
あまりにも不自由な方向へシフトしていく光景を多々見ているからなのかもしれません。
周囲に迷惑かけただけでも不自由なほうへまっしぐら。
行きたい所にも行けなくなってしまったのかもしれません。
俺だってそんな経験たくさんあるし。
たくさん逃げたぞ~、まともに去った回数のほうが少ない事でしょう。
それとて仕方なくっていう場合がほとんどで。
仕方ないで片付けるのもなんだけれど…。

政治なんかでも最近凄いですよね。
お互いの粗探しばかりしてそれに議論して要であるはずの国政に全くタッチ出来なかったり。
それを見ていて腹立てるのも不自由、それとも自由なのか。
う~ん、わからないけれどわかるような。
1日24時間、この時点で屁理屈を言えば縛られているわけで。
3分の1は寝ないとねって。

過去を清算、または切り離した人だけがある種の自由を手に入れれる気がします。
それとてあるべき人道に反する行為、キャパシティの小さな自由。
帰らないといけない場所、お世話になった人まで切り離すんだから。
そんな自由いらないわと思うのですが、ほとんどの人が恐らくは経済的な自由を目指すのでしょうね。
利己的に、ごく利己的に、なるべくやりたい事をやりながらって精一杯の譲歩をしながら。
身体を削って時間を削ってってさ。
その次に社会貢献出来れば儲けものなんでしょうか。

実は10年前よりも今のほうが断然自由だったりしますよね。
あまりにも簡単にある種の自由が手に入る為に感覚が麻痺してきているんじゃないだろうか。
もしかしたら今以上の生活なんて存在しないかもしれないのに。
もう限界まで来てるのかもしれないのに何を追い求めるというのだろうか。



今まで生きてきた中で唯一…唯一俺は自由だって感じた時期があります。
それは日本を離れて海外に1ヶ月ほどいた時の事。
言葉もわからない、どこに行けばいいのかもわからない。
シンプルに自分が自分だという事を自分がまずわからないといけなかった。
ただ思うがままに歩いて知り合って、恐らく今まで生きてきた中でその時期が最も0スタートに近い状態だったんだと思います。
だ~れも俺の事知らない。
話しかけても全く相手にされなかったりね。
でね、現地で見つけた簡易の打楽器を入手して暇潰しがてら適当に路上で叩いてると人が集まってきて。
それが嬉しくてしょうがなかったんですよね。
あの感覚ったらたまらない。
俺は嘘をついてなかった、ただ叩きたかったってだけ。
それだけ。
そしてそれをただ観たかったり参加したかったりってだけで。
なんか話しかけてきてくれるんだけれども何言ってるのか全然わからない。
でもお互いなんか楽しいよって。
だからこの時間をもうちょっと楽しめないかと純粋に取り組んだだけの事。
そういうシチュエーションってなかなか無いじゃないですか。
お互いのプライドなんて本当に小さなもので何の意味も成さないもんです、はっきり言って邪魔でしかない。
その時から何か変わったんでしょうね。
でもやっぱり全然ダメだなって思える自分がいて。
もう1度思い出そうと思います、あの時の感覚を。
そうすれば何かがまた見えるような気がして。

新しい出会い、そして別れ。
後悔しない為にも今一度、どうせ死ぬんだからさ…。
何も捨てないで全部抱えていけないものだろうか。
そうしないと好意悪意含めて付き合ってくれた人全てに対して何かを無碍にするような気がして。
それがきっとまだ見ぬたくさんの自由と出会えるような気がするから。
それでも尽きてしまうのであれば清々しくそこまでだったのでしょう。
儚くたって後悔が無ければいいや。
それはますます不自由にさせるものだから。
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