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見返りとはなんぞや。

狙ってる~狙ってる~狙ってる~の延々ループに悩まされています。
狙ってるってなんだ、何を狙ってるんだろう。
何かが降りてきている、何かの曲にならないだろうか。
たまにあるんですよね。
サビだけガツンと出てきてそれがひたすら鳴り響いている時。
こういうのって必ず何かの形になっていくもんです。
ちんぱんです。


ある人と話していた時の事。
思想的にとても正しいと思える人。
論理的に客観的に主体的に非利己的に考えれる人。
やっぱり稀にいるものですね、化け物みたいな頭脳を持ちながら我に負荷をかけ続け厳しく自己を律する事の出来る人。
しかし完璧ではない、その不完全な部分を堂々と晒せる人。

テーマになった話は見返り。
うんうん、よくわかるけれど心が痛い方面の話ですね。
人に見返りを求めない人生。
なんなんでしょうね。
ここでは完全に俺自身に限定にしての話にさせてもらいます。
じゃないと知らない誰かを攻撃しかねない内容になってしまうかもしれない可能性が大いにある話。

例えばね、少し何かの世話をしてあげたとか何かしら犠牲を払って助け舟出したとかっていうシチュエーションがあったとして。
それは絶対的に自分が好きで勝手に世話したと思えという話があって。
そこに見返りを求めるのはエゴだという話ですね。
自分がこれだけ誠意を見せて対応したのだから、相手にもそれなりの誠意を持ってして接して欲しいと思うのはエゴだと。
戦争反対とかって言うのであれば、まずそこから変えろと。
そうすれば戦争反対と言う気にもならずに自己を保ち態度を持ってして示せるはずだと。

こういう話をちょくちょく聞く機会があるのですが、正直聞き過ぎると頭がおかしくなるのです。
だってそう考えたら今の付き合いのほとんどが成立しなくなりそうな気がして。
腹立たしい出来事なんてよくあるもんですよね。
こんなにも労力を使ってなんとか上手く上手くやり過ごしたのに、そのお礼がこれだけかとか。
じっくりと話す場所でもないのに軽々しく終わらされたとか。
公私共によくありがちではないでしょうか。
それ自体が間違っているって言うんだからそりゃもうビックリでした。

それで聞き返すじゃないですか。
最初から付き合う人間を選ぶのか?って。
それも違うって。
じゃあなんなのか。

全ては我の容量が相手にそうさせている。

なんてこったい。
なんてこったい。
なんてこったいしか出てきませんでした。
そうか、自分がそうさせていたのかと。
と言ってもそこまでの仕打ちを受けるなんてそうそう無いのですが。

う~ん…。
実際の話、これはわりと理想論なんだろうけれどそう思えるポイントが多々あるので不思議と納得してしまっていたのでした。
本当はもっと濃い話なんだけれども、この手の話は書けない事が多過ぎて困ります。

例えばね、ジンプルは昔俺の部屋のソファでおねしょしたんですよ。
で、彼は何も言わずに家を出て行ったもんだから、俺はそのおねしょしたゾーンが乾いた後に寝転がったりご飯食べたりしていたのでした。
思わず叫びました。
ソファを弁償しろ!と。
これを言うなと…!?
おねしょをさせたのは実は自分!?
これもなんか違う気がする…。
う~ん、それが出来る人になりたいものですね。
心の広く大きな人に。
後は皆さんの想像にお任せしたいと思います。


まぁ~本当に唸らされるような話をしてくれる人が何人かいて、その度に何かしら凹まされたり考えさせられたりしているのですが。
どんな時であっても人に対して誠意だけは忘れないようにしたいと思います。
どれだけ憎悪の念に駆られようともその部分だけは。
ご飯食べる時だってね、この白飯の一粒一粒に誰かが生命力削って情熱を注いでたんだと思えばどんだけまずく炊き上がったとしても美味しく食べれるような気がします。
まずく炊いた自分を呪え。
……おねしょをさせた自分を呪え!!…全く納得いかないなぁ。

静かに考えていると確信に近いものが最近あって。
なんかこの世界ってあまりにも理不尽な事が多いじゃないですか。
またはあまりに自分の理不尽さ至らなさに嫌になっちゃうとか。
メンタル的に少し病んでしまうなんてもう珍しい時代ではない。
人はきっと弱くなっていっている。
強がった所で弱がった所で取り繕った所で取り繕わなかった所で何が変わると言うのでしょうか。
何も変わらない、服を脱げば誰だって同じなわけで。
お金持ってるだとかお金持ってないだとか友達多いとか友達少ないとかなんてどうでもいいわけで。
本質はただ1つなわけで。
ただ1つだけ守ればいいんじゃないかなと思います。

自分に嘘をつかないという事。

なんかそれだけでこの世界はとてもハッピーなものになりそうな気がして。
こうありたいとかこうなりたいとかこう見られたい、それがどれだけの負担を人にかけているのかを最近思ってなりません。
こうありたいと思ってそうしていてもその通りに思われなければショックはやっぱり大きいわけで。
それが俺にとっては一番の理不尽。
どんどん本質から目を背けていくような気がして。
だからと言って自分がそうじゃないとはとても言えないわけで。
ただそういうのを話す時に実感としてありますよね、フィーリングが合う合わないとか。
難しいもんですね、でも実はシンプルでもあり。
思い返せば答えはいつも…いつでもシンプルなものでした。
もうちょっと利口になりたいと思った日なのでした。
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