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覚醒の朝。

風邪…伝染したんじゃあるまいか。
ちんぱんです。

夜頃に突如としてYu-ponが頭痛いっすとか言い出しました。
なんだったんだろうか。。。


動画が出来上がりました。
ちょこっとだけ面白いそうなところを…。
080229_1544~02

酷いですね。

080229_1545~01

話してますね。

080229_1546~02

家出っぽいですね。

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轢かれますね。

080229_1545~02

よくないですね。

080229_1544~01

見た事ありますね。

う~ん…う~~~ん!!!!
いや、コメントは本当に適当です。
こういうものが生まれた事自体が感慨深いのです。
ありがとう。

本当に最初から最後まで作業に全くタッチする事も出来ずに横で眺めているままで即興で音も吹き込まれ編集されたのでした。
もう_ _ _ _*というものを俺よりも知っているかのようなスムーズさでした。
何も言う事が無かった、音を聴いていても。
というか俺あんまり知らないのかもしれないですね、だって観た事ないんだもの。



あの頃…。
_ _ _ _*の前身バンドが始動した日。
そして活動場所を失いそうになっていた日。

きっと俺は今、自分の人生でも最も大きな決断を抱えているのかもしれないのです。
迎え撃つべき未来。
それが何なのか…今はどうでもいい話なのですが。

別にね、芸能人になりたかったわけじゃなかった。
かといってロックスターになりたかったわけでもなかった。
有名になってテレビに出たいわけでもなかった、それはずっと昔から。
わりと体裁もどうでもいい性質だったりします。

ただライブがしたかった。
ひたすらにライブがしたかった。
もうこれは怨念染みたものでした。
なぜそんなにしたかったのかと問われてもそれはわかりません。
上京だって微塵も迷わなかったし帰りたいとも1度も思った事ないもんです。
思えば自分のライブ観というものは既に5,6才の頃には出来上がっていた気がします。
少年野球でもサインは無視しながらも打ちまくっていたものです。
バントのサイン出されようものなら大騒ぎしていたもんです。
サッカーやってた時だってかなり大事な試合でも好き勝手やっていたもんです。
守り事がどうしても守れなくてフォーメーションや緻密な動きの練習をしても試合では思っている方向にしか行けませんでした。
干されても干されても毛頭直す気無し。
いつしかボールからスティックに持ち替えていましたね。
思えばそれまでの流れは全てライブだったのでした。
予定調和というものが嫌いだったのでしょうか。


そんな俺がある時ある場所でcandyと出会ったのでした。
自然とライブをするようになって。
その時のcandyはもう言語に表せないくらいのメチャクチャさでした。
せっかく作り込んだはずの我の歌を歌う事などよりも何かに追い回されて切羽詰って死に物狂いで反撃しているかのような。
間違っても水を得た魚ではなかった、溺れながらもがいていたんですよね。
その頃は別に普通のポップスとかもあったのにね…でも…それこそが当時の俺にとってのライブ観に刺さっていたのでした。
今とは比べ物にならないくらいの暴走っぷり、忘れたくても忘れられない光景。
とはいえ何も歌えていなく酷いものでした。
ビデオにしっかりと残っていて今でもたまにこっそり見て1人ニヤニヤしているもんです。
これがもう4年前ですね。

そのバンドが…そのバンドがあっけなく解散になったんですよ、と~ってもつまらない事でね。
後日、何も無くなってしょんぼりしていたcandyと会ったのでした。
そう、あの頃の俺達は本当に何も無くなってしまっていたのです。
この世で最も恐ろしいかもしれない瞬間、自分が0だという事を知った時期を迎えたのでした。
そうなってしまえばなぜここにいるのかさえわからないもんです。
苦痛だった…。
下北沢なんて歩けたもんじゃないですよね、ライブハウスだらけでバンドマンぽい人達がたくさん歩いているんだもん。
俺は一言だけ言いました。


「なんかやるか…?」


これが今でも全てのような気がします。
『なんか』というのは言うまでもなくバンドなのですが、これだけの言葉で始まったのが_ _ _ _*の前身バンドなのでした。
今でもいろんな場所でバンドのメン募告知とかよく見ますが必ず書いていますよね。
どういうコンセプトでどういう音楽をするのか、どういうパートを募集しているのか。
当たり前です、それが無きゃ何をしていいのかさえって話なんだから。
でもね、当時の俺達はそんなものさえ無かったのです、きっとただひたすらにライブが…。
これを裏付ける面白いエピソードがあってね、何度か書きましたがジンプルさんの話ですね。
確か週2回程で新宿のスタジオに集まっていたのですが、ある1日だけ俺休んだんですよ。
それでスタジオにはcandyともう抜けたギターさんだけのはずだったのですが、そこに同じ職場で働いていたジンプルさんがギターを持って遊びに来たのでした。
次の練習に俺が行くとなぜかジンプルさんがいるじゃないですか。
俺は聞きました。

「なんでいるの?」

「俺このバンド入ったんだよ。」

結局何事も無かったかのようにジンプルさん参加。
当時のジンプルさんはね、凄い男前でした。
今は個性がズバ抜けちゃってえらい事になってますね。
スロットが好きだったんだっけ??
そして物凄く短気だった気が。
何はともあれ人数的には揃ったんじゃないだろうか…編成がVo×1、Gt×2、ドラム×1…??なんか足りないぞ!?
あれ、そういえばcandy両手空いてるじゃない!ってわけであまりにも安易にVo&Baに決定。
3日後には御茶ノ水に走ったものでした。
↓2回目のライブ時、川崎にて(酷)。
index1014003.jpg

これが初期の編成だったのでした。
当時やっていた曲、実は今とそう変わらずですね。
回転ドクロ、乙雌節、イナヅマぎた~、フールズ…ただアレンジは全く違ったのですが。
ライブがやりたい…というだけであまりにも無計画だったのか何なのか詳しく語る事は生涯無いと思うのですがどんどん活動場所を失っていっていったんですね。
子供4人が大人に相手にされなかったのかもしれませんね、そして四谷漂着。
フライヤにも書かせてもらいましたがこの頃はどちらが潰れてもおかしくありませんでした。
それも本当に今にもってくらいに。

そこで3度目のライブ直前に大事件が発生したのでした。
突然Gtが脱退、3ピースでのライブを強いられたのですがもう最悪の思い出ばかりです。
実はこの頃に今は爆紅の麗羅総長、10月に出演させてもらったイベントを主催していたVENSHEさんとも出会った頃ですね。
よくあの酷い頃きっかけで今も繋がっているものだ…。

これをきっかけにBaを本格的に探す事になったのですが、その人物はすぐに浮上しました。

―こいつしかいない―

当時大学生で違うバンドをしていたYu-pon。
横浜在住でね、俺とセッションする為に月1で西荻窪まで来ていたのでした。
それまでVo&Baのcandyの弾いていたのはとにかくべべべべベンって感じでした。
どうしても口と手が一緒に動くとかって言ってましたね、そりゃ無理だ。
でもYu-ponはさすがに専業という事もありちゃんとしていたんですよね。
とにかく小手先が器用だったんですね~。
今よりも無茶していた当時の俺達にメンタル的に馴染めるのかというのが最大の障害でしたが、迷わず電話をしたもんです。
2005年6月11日、午後6時過ぎでした。
よく覚えています、俺は京王線西永福付近を歩いていて信号待ちをしている時に繋がったもんです。
それでね、信号が2,3度変わる間に次じゃあこの日ねって。
サポートで参加決定。

そして2005年9月8日、17時過ぎ。
ジンプルさんがチョンマゲになったんですよね。
美容院でゲラゲラ笑いながらでした、江古田のキレイな美容院で。
SN320032.jpg

なぜかジンベエを着てきた彼。
チョンマゲも戦国タイプと江戸タイプで彼のは戦国タイプとの事。
よくわからないけれど面白かったなぁ。
その後の11月のライブでYu-pon正式加入と共にモヒカン。
なぜか罰ゲームのような流れでした。

この4人が揃って…それでもただライブがしたかっただけなのでしょう。
年が明けて2月、第1回目のワンマン。
そしてその2006年10月1日の改名ワンマンにて_ _ _ _*に。
この頃からもう皆知っていますよね。
映像撮影なんかもしっかりしてくれちゃってさ、HPも作ってくれちゃってさ、アニメーション作ってくれてさ、絵まで描いてくれて…おまけに写真も撮ってくれちゃってさ、何この贅沢って話です。
困った時には必ず側で耳を傾けてくれる人もいるんです。
何この贅沢!?
付き合ってくれているバンドさんも、イベンターさんも、各ライブハウスさんも、そして何より観に来てくれる皆にどう礼を果たせばいいのかなんてもうわかりません。
ありがとうという言葉に今更何の意味があろうか。
もっと特別なありがとうじゃなきゃ意味がありません。
Recまでやらせてもらってほとんど1週間後には共催イベントじゃないですか。
何?共催イベント?って。
俺達いつの間に誰かと何かを!?
冒頭で書いたような映像も完成して音も俺の知らない感性が独力で仕上げてくれて。


「なんかやるか…?」


不思議と今、あの頃のシーン達、言葉達が延々とループしています。
北海道も行きました、大阪も行きました、名古屋も行きました、木更津も行きました、千葉も行きました、仙台も行きました、高崎も行きました、桐生も行きました、横浜も行きました。
全て行かせてもらったのです。
俺達みたいなちんちくりんをよくぞ。
そしてここまでいろんな日があったものです。
一人の人間からそんなにも涙が出るものなのかと貫かれました。
悲しみがなぜ悲しみ足り得るのか、希望とはその実何なのか。
もちろん嬉しい事もあったし、ある日はただ一言に救われもしました。

何度ダメだと思っても残念ながら俺達は4人だったのです。
どうしようもなく4人だったのです。

そしてその4人が完全なる1になれるという事を俺は_ _ _ _*から教えてもらいました。

こんなにまで贅沢をさせてもらって…

3月8日、4月13日、そして5月24日の限定ワンマンへと繋がります。
別にね、今殺されても何の悔いも無い。
そうなるのであれば笑って死んでやります。


「なんかやるか…?」


それは今やっと鼓動し始めたかのようです。
言い聞かせる必要もないじゃないですか、そんなのもう知っている。
もういい、もういいよ。
自分が何なのかなんてもうどうでもいいじゃないですか、つまらない。
本当は知っている。
そして俺はきっとライブでしか生きれない奇特な生き物。
何の汚れもなく真っ白なままでこの3ヶ月をしばき倒してやります。
心身共に軽くなってきました、もう何も無い。
だからいつだって還れる。

1つでも多くの笑顔を。
1つでも多くの希望を。

俺はやっぱり人間は素晴らしいと思います。
だから…
だから諦めないで。
今日は晴れ。
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