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理解出来ない事象。

書くか書くまいか迷っていたのですが…あの秋葉原で起こった事件。
半端じゃないですね、もう最悪じゃないですか。
どこまで書いていいものか、思っている事もたくさんあるのですがあの場に居合わせた人の話を聞いてしまったのでした。
この日記でも書いてみてくれないかと。
内容も事件が事件なのでいろいろと書かせてもらいました。
ちょっと…という方はここで止めといてください。
一応本分を分けさせてもらいました。

誰がいてもおかしくない場所。
俺もよく行く通りです。
ライブハウスもある。
行って来ました、秋葉原。


トラックで歩行者天国に突っ込んだ上にナイフで…。
それも5本も用意していたそうな。
そして場所は秋葉原。
大阪の小学校の時とは状況が全く違います。
被害者は皆しっかりとした判断能力を持つ大人じゃないですか。
という事は…本当に残念です、なんて酷い話。
歩いているだけで故意にトラックに突っ込まれて刺されるんですよ。
何それ?
意味がわからない。
この事件はある意味では少なくとも日本史上最悪なんじゃないだろうか、比べるわけじゃないけれど今年明けてからも北関東で無差別殺傷事件があったけれどここまでの被害じゃなかった。
何が起こっていたのでしょうか。


平和ボケとかいろいろ騒がれていますが、もうそういう問題では無い。
決して庇うのではないのです、でも加害者を叩くのは止めましょう。
その矛先にはもう何も無い、何の意味も成さない。
やった事が悪い、そんなのは万人が万人わかる事。
それが通用する相手ではない、そしてまたいつか発生してしまうかもしれない。
非難するのもいいと思います、だって誰も全く理解が出来ないんだから。
裁くのは司法、叩くのは遺族の方々及び近しい方々、そして一見第三者のようにも振る舞える俺達はその出来事を忘れずにまた別の事が出来るはずです。
超大多数の俺達にしか出来ない事が絶対にある、必ずある。
あれを繰り返しては意味が無い、批判も非難も意見として耳に入れるのはいいけれどそこに参加した所で何が防げるというのか。
具体的にまず自分の事を考えなければ。


思いませんか?
もし自分があの場にいたらどういう行動が取れていたんだろうか。
どんな状況であれ訓練を積んでいるはずの警察官の方も犠牲になっているのです。
そんなもの、素人の俺達が止めようとかって動いてもね…どうなっていたかわかりません。
どれだけの人がいてどれだけの人が逃げてどれだけの人が防ぎにかかって…想像するだけで恐ろしい。
悲しい、とても悲しい。

なぜかニュースソースによって詳細が違うのですが、かなりの人数が切りつけられているじゃないですか。
そんなに短時間で人をたくさん刺せるものなのか。
あの場所で何が起こっていたのか。
もう何かを少しでもシミュレーションしておかないと対応出来ないんじゃないでしょうか。
不謹慎極まりないけれども事後に写メ撮るのもいいと思います、皆が皆それでそういう出来事があったと思い出せるのであれば。
何があったかを知る権利は誰にでもあるんだし、誰かが誰かに伝えれるものは正確に伝えればいい。
誰もが誰かを守りたいはず、そう信じたい。
でもそこで紛れも無く悲惨な事件があったという現実を捉えるという事を忘れては……。

俺達に出来る事。
なんでしょう、昨日に始まった事ではなくずっと考えていたのでした。
起こっても起こっても忘れ去られる事件。
そして繰り返されるどころか増える一方の事件。
猟奇、ノンフィクションのすぐそこで起こっている猟奇事件。
一昔前であれば映画になっていたような事件がすぐそこで。
どう考えても俺達に関係のある話です。
やられるぞ、今日にもやられるかもしれないぞ。
愉快犯?計画犯?
関係無い、そんなもので大事なものを落としてしまうなんて誰が望むのか。
もうその瞬間が訪れようとも誰も守ってくれないかもしれない。
いや、守れないのかもしれない。

その時どうする!?
どうしようもないじゃ何の為に今まで生きてきたんだろうか。
この後もいつかどこかでそうなるとわかっていて傍観するのであればそれは…。
深く、深く、被害者の方達、そして遺族の方達にお悔やみを。
二度と起こしてはいけない。


俺達に出来る事。

なぜあのような人間が生まれてしまうのか。
なぜ?なぜ!?
どうして未然に防げないのか、何が原因なのか。
ネット上の掲示板に書き込みまであんなにされてあったのに後の祭なんでしょうか。
そんなはずはない。
必ずあるはずです、その原因の根が何なのかわかっていればこんな問題も起こらないでしょう。
誰にもわからない。
確実に10年前とは違うじゃないですか。
心理分析しようが経緯を調べようが未来にとっては無意味、もうそれが再発防止になるとは思えない。
頻度も異常。
じゃあ外出しなければいい、そういうわけにもいかない。

銃乱射事件とかもあるけれど、それと何が違うというのでしょうか。
通り魔事件と呼ぶには生易しい、もうテロのレベルじゃないですか。
それも何の思想も主義主張も存在しないテロ。
エゴのみなのかと疑ってしまう程の…いや、エゴさえも…。
加害者がなぜそうしてしまったのか。
全くわからない。

決して区分するわけではないのですが、銃よりもナイフの無差別のほうが断然に異常だと思うのです。
なぜそんなに簡単に刺せるのか。
ここは戦場か?
変な話かもしれませんが、わからないなりにも銃とナイフ、どちらか選べと言われればほとんどの加害者が銃を選びたいんじゃないでしょうか。
ナイフですよ、直接…。
あぁ、もうわからない。


俺がいて、誰かがいて、そして毎日が過ぎていくのです。
だから誰かを大事にしたいし過ごす時間を人間らしく感じれるのではないでしょうか。
この日記を読んでくれている人達も俺の事を実際に認識してくれている方が多いのではないでしょうか。
だからこそ真剣に書いているのでしょう。
そしてしっかりと読んでくれているのでしょう。
俺はこの10数年に全く後悔していません、根本としてそれは完全なる0。
それは敬愛すべき皆がいたからでしかありません。
1人じゃない、それだけでどれだけ強くなれたのか計る術もありません。
支えられてね、どれだけ辛く明日が怖くても立ち上がれるものです。
一見誰もいないように見えてもね、それは我が盲目的になってしまっている場合がほとんどだったんだから。
そこからするとああいう加害者が発生する事自体がおかしいと思える俺は甘いのでしょうか。
刺せない、どう考えても俺には誰も刺せない。
そして皆も同じでしょう。
刺そうと思うだけならばあっても踏み出せるわけがない。
仮に…仮に刺したとしてもそれは知らない誰かではないでしょう。
言葉が悪いけれど殴るくらいならまだいい、それが何かに向かって良くなれとの意志がこもっているのであれば思いっきり喧嘩すればいい。
刺せはしない。
でもこんな次元の話ではなくなってしまっているのです。

一体誰が誰の何を殺したいというのか。
聞けば揃って誰でもよかったとの答えが飛んでくる。
なんだそれ、だからもうわからない。
ふざけるなと言ったところで事後じゃないですか。
なぜそのような結果に向かって深く踏み出せるのかが…わかる人間がいたら防げるでしょう。


どうしたらあのような人間が生み出されてしまうのか。
それを止めなければ、事前から止める力を俺達が持たなければ。
渾身の思考で考えないといけないのではないでしょうか。
TVでは盛んに言われていますね、貧富の拡大だとかコンプレックスだとか。
違う、絶対に根本とは違う。
そんなもの別に俺達の世代が義務教育の時代からあったはずでしょう。
変な話だけれどもそういう部分はあの頃と今と全く差を感じない。
あった、あったよ。
悲惨な結末…誰も助けてくれなくて小学校の時分に教室の窓から飛び降りた子もいたよ。

むしろ人間同士の摩擦なんてあの頃のほうが大きかったかもしれないじゃないですか。
そんなのわからないでしょ、TVがあまりにも簡単に言い過ぎる。
場合によっては新しい罪を扇動しているようにも見えてしまうのです。
あまりにも不確かなものをなぜ断言出来るのか。
個々の体感としてのものも同じものでも時代で違うんだから。
少なくとも今俺が生きている環境は巷で言われているコメントのほとんどが合致しないもんです。

そんな統計的なものよりも今ここで起こっている具体的な変化。
人がいて人がいる。
俺には人間は人形には見えない。
絶対に人間だ。
それぞれの場所で生まれて時間を掻い潜り必死で生きてきてやっと出会えた人間でしょう。
お互いに血が通って熱を持って呼吸して触れ合って日々を過ごしていくというのが普通で無くなってきている。
そして発生している問題。
理念や理屈などではもう対応出来ないのでしょう。
何も守れない正論などであれば吐いて捨ててしまえ、遭ってからでは何もかもが遅い。
何かが違ってきている。
守れるのであればそれを守ればいいじゃないですか、でも何も守れていない。

社会という大きなものがあって生きている限りは確実に参加しなければいけないわけじゃないですか。
それがどのような形であっても…俺のように無差別に不特定多数の誰かと所構わず普段から頻繁に会うのもそう、勤務先や学校でいろんな人と付き合うのもそう、家庭で過ごしている何気無い時間もそう、引き篭もってネットだけで過ごしていてもそう。
関係無いと思うのです、生きているフィールドは完全に現代社会。
いつでも現代社会、1秒前は既に過去、そして1秒先は常に未来。
そしてあまりにも瞬きのような捉えきれない今の連続。
俺達同じ時代の人間、そして二度とは訪れない時間軸の中で二度と訪れない時間を一緒に生きているのです。
どうしたって共同体。
飯だって1人じゃ食えない、誰が原材料作っているのか、誰が流通させているのか、誰が売っているのか。
トイレだって誰が水供給しているのか、誰が下水処理しているのか。
今回のネット掲示板だってPC作っている人がいるし回線提供している人がいてサイト更新させている管理人がいたりして。
感覚的にどこかおかしくなっている気が…何もかもが1人で完結していると勘違いしてしまいそうな程に便利な今の時代。
俺自身も錯覚に陥る事もあります。
何もかも自分だけでは何も出来ないのにね、それを忘れてしまいそうになるのです。
人は決して機械のようには過ごせないのに。

書いてしまえばモラルなんて存在すれど、場所場所で全く違うものです。
日本で学んだモラル、海を越えてしまえば全くと言っていい程に通用しなかった。
観光地なら違うのかもしれませんね、観光業営む人間であれば大体は片言でも英語は話せるし理解もある。
地域によっては日本語覚えている人もたくさんいるんだから。

でもそんな場所あまり行きませんでした。
ありがとうと感謝して頭を下げたら笑われました。
話がまとまって握手しようと手を差し出したら怒られました。
愛想笑いをしようものならば嫌悪感抱かれて相手にされなくなってね。
税関ではチップ渡さなかったばかりにPCをバラバラにまで分解されたりね。
ある国では道路脇に現地人が明らかにヤバい状態で転がってるのに放っておけと忠告されたりね。
4歳の女の子がポケットに手を突っ込んできて貴重品すろうとしたりね、それが何を暗示するのか。
三ツ星ホテルの据え置き金庫の中から大事な物が紛失、どういう事?
ある夜の街では売春の凱旋業者が片言で「ショジョ、ショジョ」、提示された額、日本円で1500円。
何も通用しなかった。
あの時と同じ異も知れぬ感覚が秋葉原の事件を通して感じたのでした。
でもね、どこでも敬意を払い尊敬の念を抱いて人と接すれば問題なんて結局は問題にならなかったんだから。
全部クリア出来た。
今、本当の今、この国で認識されている道理、どこまでが通用するのでしょうか。
世界に通用するのではなく、今ここにいる人間に通用するのかどうか。
それさえ疑ってしまうのです、もしかして俺達は時代の変化についていけていないのではないかと。


なぜあのような人間を生み出してしまうのか。
この社会に問題があるのか。
だとすれば…そうだとすればその一翼を担ってしまっているのではないでしょうか。
悔しい、悔しいけれど知らずのうちに片棒担がされてしまっている気がしてしょうがないのです。
そんな事あってたまるか、でも否定出来ないのです。
どこかで俺もあのような事件の発生元を辿れば何かしらのアクション、判断で関与しているのではないかと。
何かとても大きなものを見過ごしているのではないかと。
否定出来ない。
だって起こっている事がその実何なのか俺にはわからないんだから。

例えあの場所に俺がいてもきっと何も出来なかったよ。
せいぜい誰かの代わりに少し早く刺されるだけだったかもしれない、どんなに良くても刺されながら腕へし折ってやるくらいかもしれない。
遅い、どうしたって起きてからではどうしても遅い。
でも今のままだときっと何も出来ない。


過去、俺自身の強烈な体験があってね。
あの東京駅ですよ、それもピーク時の話。
階段で人が倒れていたのでした、一見すると寝ているようにも見えたのは間違いないのですが…それにしても俺はなんとなく嫌な感じがしたので電車待ちながらしばらく眺めていたんです。
何かの勘でもしかしたら…と思っていたのかもしれません。
おかしいな、おかしいなって。
でも確信が無かった、なぜなら通る人通る人が何の疑問もなくその倒れている人を横目に歩いて行っていたから。
ピーク時なのもあって交通量も多く、場合によってはその人を跨いで行く人さえいました。
でも見たくはなかった決定的な光景が訪れたのでした。
ある人が避けきれず誤って当たった、つまり蹴ってしまった。
蹴った人はそのまま歩いて行ったんだけれども…問題は蹴られたほうのずっと倒れている人の体があまりに力無くグニャっとなったんですよね。
感覚的にそれはもう…

嘘だろう?
東京駅でしかもこんなにも人がいるのにまさか!?

時既に遅し。
亡くなっていたのでした。
信じられない。
聞くまでもなく救命士の動きのテンポでわかったのでした。
でも珍しい話ではないみたいで救命士の人も落ち着いたものでした。
ニュースにもならなかった。
これだけたくさんの人がいるのに、誰も気付かずにこんな場所で??
もしかしたらという仮定の話もどうかと思うのですが、誰かが何かを見ていたかもしれないじゃないですか。
倒れる瞬間とか…少なくとも家じゃないんだから。
助かったかもしれないという可能性を否定出来るわけがない。
こんなにも人は人に無関心になれるのかと知り、恐ろしくなったのでした。
ゾッとした、でもあの時以上の戦慄を今感じているのです。
あの出来事があってから俺の中で何かが始まったのかもしれません。

あの加害者を叩く気にはなれません。
今はただ、あまりにも理解出来なくて苦しんでいるのです。
なぜあのような人間が生まれるのか。
同じ人間なのにどこでどうなってしまったのか。
心情的には可能な限り一杯まで裁かれればいい、庇護する気など持っての他。
少しでも多く償わなければ、でももう誰も帰ってこない。
何もしていないぞ、被害者は何もしていないぞ。
事情のもつれでも何でもない、ただそこに居たからというだけで。
なぜ!!
取り返しのつかない事をしたというのもわかっていなければもうそれは人外の生き物。
でも間違いなく俺とも同じ機能を持った人間なのです。
わからない、わからないから恐ろしいのです。
そしてこの後に昨日起こった事件を頼むから活かしてくれ。
俺達も俺達の場所で手伝わなければ。
ナイフを売る売らないが論争になった所で規制されても凶器など誰でも持てる。
ならば良心、俺達は俺達の良心を持たなければ。
今すぐに…強く、何にも揺るがされない程に強く良心を。

ただ、これからも引き続きあのような事件が繰り返されるのだとすれば近しい誰かに危害が及ぶのも時間の問題でしょう。
そんなもの考えたくもない。
仮に殺してやると加害者を殺しても誰も帰ってこない。
なんという不条理。
もし…もし知っている誰かが凶行に及んでしまいそうであれば、それならば事前に止めれるかもしれないじゃないですか。
まずは個人として止める力、気付く力、収める力が欲しい。
もう何が起こってもおかしくない。
このブログを書き始めてから最大の衝撃を与えられたこの事件。

1人じゃない。
絶対に誰も1人じゃない。
だからたくさんの話をしよう。
熱の無い文字ではなく熱のある言葉で。
今はそれしか出来ないんだから。
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コメント

読ませてもらいました。

コメント入れさせてもらいます。
毎回日記が更新されるのを楽しみにしています。

私はちんぱんさんよりも年齢的には随分と上です。
社会的にもそれなりに経験してきた上で私も職業上今回の事件とこれから関わっていく事もあり考えていました。

しかし今回の指摘部分ですね。
さすがに着眼点のポイントの違いに驚きました。

これは誰にでもそう簡単に書けるものではありませんよ。
普段私はとある場所で講師をさせてもらっているのですが、今後問題に取り組む際の一助として大いに参考にさせてもらいます。
このような一歩誤ればリスクのある日記を書かれたちんぱんさんに一言お礼を申し上げたく書き込ませてもらいました。
とても素晴らしい呼び掛けではないですか。

活動頑張ってください、近く会場にお邪魔させてもらいます。
その時には是非ご挨拶だけでもさせてもらえれば光栄です。
影ながら心から応援しています。

遠藤

群を抜いて最悪に陰惨な事件だとニュースを見てました。なにがってどうしようもないくらいに有無言わさず脱力させられました。
確かに変わってきているかもしれませんが僕も信じたいんです。
生きる価値のある世界だろと。
あんな事件がもう起こらないでほしいではだめなのでしょうね。

考えさせられたよ、最近嫌な物をたくさん見せられているよね。
少し感じたのはもしかすると正面から意志表示出来ない人が増えているのかもしれないね。
そう感じるのも世相なのかな。

ぱんの日記読んでると今何が足りないのかわかるような気もするんだ。
日々どんどん熾烈になるね。
ありがとう。

遠藤さん>
書き込みありがとうございます。
着眼点ですか、きっと俺達みたいなのが具体的に出来る事ってこれくらいではないかと思ったのです。
これくらいとはいえとても難しいのですが、何かそういう部分が欠落していっている気がしたのです。
いろんな話を聞いたりすると想像もつかないような出来事がまさか!?という場所で発生していたりするのですが、それとて首を1つ奥に突っ込まないと知れないものだったりして驚きの日々です。
でも知らなければ対応出来ないというのも後になってあの時…というのも情けない話なのではないでしょうか。
この日記が何かのお役に立ててもらえるのであればそれは嬉しい限りです。
ありがとうございましたm(_ _)m

ゆうだいさん>
生きる価値のある世界ですね。
価値という言葉が意味を成さないほどにそう思います。
何度も疑ってしまった事もありますがそういう時に限って大事な所を踏み外していただけでした。
こんなに便利なのにいつから生きるってのがこんなにも難しくなったのでしょうか。
そういうきっかけを与えてくれた事件でした、考えます。
ありがとうございましたm(_ _)m

柴さん>
久し振りですね。
何が足りないのかわかる気もするのですが、わからない部分が多過ぎて参ります。
何を叩くべきなのかもよくわかりません。
そうしたのが悪い、こうなったのが悪い、そしてその後に続く言葉では防げないような気がしてなりません。
どうにも人間味に欠けているようにしか取れません、皆生きているのにまるで機械のように。
とはいえ自分はどうだ?と問われれば自信が無いのがこれまた滑稽でしょうがないのです。
もう少し考えてみます、ありがとうございましたm(_ _)m

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