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心の在り処。

今日は久し振りに書きたい事を書いてみようと思います。
なんだかね、そんな夜。
ちんぱんです。


誰もが誰かを攻撃したかったわけじゃない。
最初から誰も誰彼構わずに攻撃したかったわけじゃない。
それなのに…なぜ??
生まれた時はあんなにも素直な赤ちゃんが…ね。

ずっと考えてきたテーマなのかもしれません。
それこそね、小学生の時に初めてイジメってものを目撃した時に違和感を感じた瞬間から。
そして最初に学んだのが意思表示。
嫌であれば嫌だと示す勇気。
いじめられていてもね、嫌だと言ってそれでも止まず思い切って暴れてみたりしたらあら不思議。
イジメが止んだじゃないですか。
意思の表示、自尊の欠片、これがあの時の俺には足りなかった。

そして次に学んだのが陰口。
中学高校の頃の話。
イジメとかなんでも無かったんだとしてもね、対象のいない場所で対象の事を卑屈で笑えない類の陰口。
それは言を放った瞬間からタイムリーに我に降りかかってくると。
そう、絶対にね。
陰口を叩く事でしか保てない個性など俺は認めない。
当時はバリバリの体育会系クラブに所属していてね、人数も多い時で200人近くいたものです。
酷い時はね、夏合宿なんかで試合直前のご飯に腐ってるんじゃないかってのを混入されて体調崩したりね。
そう、あの時は背番号一桁ってのがそれ程までに輝かしいものでした。
そうそう、背番号ちょっと剥がされたりね…いたいた。
陥れようとする奴なんてたくさんいたものです。

まぁそれからもいろいろありました、きっと皆もそうでしょう。
そしてどうやら人間は年を喰うに従って比例して賢くなっていくものです。
笑える程に毒を食わされてきたのかもしれないしね、実はまだまだ温いのかもしれません。
ただ、誰しも人間社会ってものの中で我を保つ為に賢くなっていく。
良いものは良い。
褒めればいいじゃない。
悪いものは悪い。
謝ればいいじゃない。
しか~し!
これが中々出来ないものです。
些細な事でも人間間違いを犯すものです。
あれ…?
もしかして今ちょっと言い過ぎたかな?
あれ…?
もしかして今聞いたらいけない事聞いた?
そんな日常に潜む星の数程の地雷を誰が踏まずに過ごしていけるのか。

舌禍。
口は災いの元ってやつですね。
俺達なんてちっぽけな生き物です。
自然界の動物のほうがよほど寛大でシンプルかつ大きい生き物なのです。
誰が常に100%以上の確信を抱きながら永劫揺るぎないままに生きていけようか。
少し違和感を感じてそれを放っておけば心の中でスクスクと育っていってしまうのです。
そして抱えきれなってしまった負の情念はどこかでドカン!
そうなるのを防ぐ為にもどこかで吐き出さねば。
そして起こってしまう災い、これは自ら招いたのか、誰かに招かれたのか。
それさえもわからずに自体は深刻に…遅いですよね。
大体ね、誰かを殺したとかそんな水準ではなくもっと曖昧なラインでどこからが悪いだなんてラインは個人の感覚に大きく依存するものなんだから。
そんな基準、この世界のどこにも無いんだから。

そして厄介なものが登場してきたものです。
規律、批判、正義などなど。
それは攻撃にも防御にもなるものです。
書いてしまえば俺達なんて批判されるべき立場、別に何を言われようが構わないのです。
いいよいいよ、筋が通っていればそれは有り難いものなんだから。
何時からか大人になると法的にも社会的にも体裁を整えた言を放つ事が出来るのです。
今だって凄いですよね、星野監督。
散々持ち上げてプッシュしておいて今の叩かれようは半端じゃない。
別にいいじゃない、お金儲けようが何しようが。
本当に批判する側にそれだけの先見があるのであれば監督選んだ時点で止めればいいじゃないですか、あちらこちらで根掘り葉掘りひっくり返して便乗だなんてね…もうイジメにしか見えないのです。
何かのバランスが崩れている。
批判のレベルに達していないものでさえ、どこぞの立派なオフィシャルで記事が上がっている始末。
何であっても抑止の機能が必要、審判の機能も必要なんだとしてもね…何かこう腑に落ちない事が多いのです。


俺達ってきっと攻撃したくもないのに攻撃してしまう生き物なのでしょう。
例えば俺が真顔で歩いているだけでもね、脅威に感じる人もきっといるはずですよね。
そんな事は望んでいないのにさ。
そして選んだ俺の選択は…静観。
何があってもただひたすらに静観、傍観ではなく静観。
溜め込まずに適当に散らしながら静観、そして時が満ちた時に一気に…ってね。
そうしないと辛さや苦しみから逃れられなかった。
誰かに相談した所でね、愚痴になってしまいそうで。
憂さ晴らしに遊びまくった所でね、むしろ後退していたり。
知らないフリをしようとした所でね、開いていたはずのドア達がパタパタっと閉じていったり。
そんなのしんどいじゃないですか、追い込まれるだなんてごめんです。

なんで人間ってもっと器用に過ごせないのでしょうか。
あ~理不尽。
こんなにも言葉を操れて四肢も巧みに動かせるはずなのにね。
表現というのがこうも難しいのか。
それともいろいろと希望があるからいけないのか。
全部裏返しになってしまうから?
う~ん……。

強くなれと言われた所で無理。
言われてなれるのであれば最初からってね。
弱くなれと言われた所で無理。
誰も守ってくれないかもしれないよ。
じゃあどうする?
そんなのわかる訳ないじゃないですか。

でもね、今必要になってきていると思うんですよ。
我が我を保つ為、我が我を我として正確に示すという事を。
その上で誰かと接しなければ。

信じているんですよね。
人は時を過ごせば過ごす程に可能性が広がるという事を。
嘘だ、時間と共に可能性が狭まるだなんて。
そして限りなく純粋に良心に従えばどこまでも優しくなれるという事を。
もしかしたらね、時代は余裕を失いつつあるのかもしれない。
巻き込まれているのかもしれない、だったらその分純粋になればいい。
これは無茶な理想論?
いやいや、そんなはずはない、今からだって大丈夫。
俺はね、普段から言葉も悪いかもしれないしわりとムチャクチャするほうかもしれないけれどね、本当は誰も傷つけたくは無いよ。
そういうのはもういいよ、皆がそれぞれ幸せになればいい。
そう願っているだけで何かが変わってきているのかもしれません。
嫌になるくらい小さな小さな俺もね、嫌になる位大きくなってやろうとしているものです。
動じない、揺るがない、そして振り返り見渡せる人間にね。


これは身近なある人が酔っ払った時の出来事。
気持ち良くなってね、もう帰ろうってタクシーに乗ったのでした。
そして運転手さんにどこまで?って聞かれた際に返した一言。


『天国まで~!!』


素晴らしい。
完全に何かを振り切っているじゃないですか。
あはは、タクシー運転手さんには迷惑かもしれないけれどね、どこかとてつもない余裕を感じてしまうのは俺だけでしょうか。
ただの酔っ払いのセリフではない、まだ俺にはそんな事言えないものです。


ちょっとでも油断すればすぐに歪んでしまうかもしれない今。
いや、きっと大昔からそうなのかもしれません。
示す勇気。
戦う勇気。
受け入れる勇気。
退く勇気。
そして、最も大事な弱さを認める勇気。
たくさん有り過ぎて難しいですね。

本当に心が折れそうなその時には思い出しましょう。
独りじゃない。
心が折れてしまうその前に。
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