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苦楽の先に。

デスクに座ってノートPCに向かっている時もパピは暇だからか膝の上に乗っているのです。
じ~っと一緒にモニター見ているから何に興味示しているのかと思えば突如…!!

ガツッ!!!!!!

PCのモニターに映るマウスのポインタ、これが気になってしょうがなかったのか。。
耳をピクつかせていたから嫌な予感はしていたのですがやられた瞬間はあまりのやばさに言葉が出ませんでした。
ダメなんだ、これだけは絶対にダメなんだよ。
その後の喧嘩で右肩には明らかに猫の手サイズのラインが4本、それも10cmくらい入りました。
ちんぱんです、大変です。



それとなく楽しかった事や唐突にラッキー要素もありで楽しかった事。
それなりに苦労していたから楽しかった事や他力本願で楽しかった事。
それでは最初から自ら追求して楽しかった事にはやっぱり勝てないんだなと実感。


俺にとって1つの指標が出来ました。
まだ言葉には出来ないんだけれどね…うん、なんとなくわかってきた。
フィクションなんかで永遠に生きるのであればそれは永遠の苦しみだとかってあるじゃないですか。
それは本当かもしれない。
大体ね、生きるに際して飯を食わないといけない。
そして睡眠もある程度確保しなければいけない。
この2つが人間に一体どれだけの負荷をかけてしまうのか。
食べる為に働かなければならないし寝る為にも働かなければならない。
どこでも寝れるという意見も十分にわかりますが、それでは今の社会に適応さえ出来ないじゃないですか。
俺もわりとどこでも寝れるほうだけれどね。

こういうものって本当に選択の余地が無いんですよね。
生きる=飯食う=寝るみたいなね、他にもいろいろあるけれど割愛。
とにかく根源的なもの。
避けれるかも?という余地さえ存在しないのです。
そこで姿を現しだした苦しみというもの。

計算した事ありますか?
死ぬまでにかかるであろう自分の代金…ゾッとしますよ。
守るものが増えれば増えるほどに倍々。
おかしいですよね、時間は均一なのに守るものと負荷だけが増えていく。
苦しい、苦しいでしょう。
だけどね、誰も苦しもうと思って苦しんでいるわけではないのです。

想像しただけで面白いじゃないですか。
例えばですが、俺達人類は生まれてから確実に50年生きます、何があっても50年ピッタリ生きて死にます。
その間ご飯も食べないで大丈夫、寝る時間も考えなくていいですよ、好きな事をして大丈夫。
もしこうなったらね、何が楽しいだとか苦しいだとかなんてわからなくなると思うんですよね。
というか生きている事さえわからなくなるかもしれない、ただ始まりがあって終わりがあるというだけ。
誰とも会わなくたっていい、予定通りに生きてける。
それが正しいのか。
人間ってとにかく感情の生き物じゃないですか。
きっとね、この感情ってものが薄くなればなるほどに人間の能力は退化しているのでしょう。
どれだけ豊かになろうがね…確実に年単位で退化…つまり能力を放棄してしまうという話。

俺はね、進んで苦しめるという権利が人間にはあると思うのです。
それと同義で進んで楽しむという権利も人間は持っているはず。
どちらかを放棄した時点でもう片方も放棄、これが実は盲点。
そんな時期を過ごしていた事もあった。
苦しみを放棄した分楽しみも薄れていくもの。
絶対そう。
そして苦しみが増せば増すだけ楽しみを見つける事が難しくなっていくのです。
それでも楽しめる人間というのはもう天才なんじゃないでしょうか。
たまにいますよね、そういう人。

もうね、_ _ _ _*を通してでも本当に様々なイベントに出演させてもらってきました。
たくさんの悲喜交々を潜り抜けてきたのでしょう。
特にこの2年という期間、それだけ力のあるイベントに参加させてきてもらったのです。
イベンターさんも一生懸命だった、1年間苦しんでたった1日の楽しみを得れるかどうかとかね。
一概にイベントといってもね、簡単に一言で括ってしまうのは俺には難しかったりするのです。
メンバーにとってもそうだろうけれど俺も実生活のかなりの部分を占めているであろう_ _ _ _*。
面白いんですよ、たま~に何かを探るかのように_ _ _ _*の事を聞いてこられたりするのです。
そういう人達って決まってメンタルレベルでは随分遠い所にいたりしてね。

恐ろしくシンプルな話なのです。
_ _ _ _*ってのは生きる=飯食う=寝る=ってだけで意外と何も考えていないのが実情。
生きてるだけの人間が同じように生きてるだけの人間と出会っただけ。
なんでこうなったのかなんてもうわかりません、誰もわからないでしょう。
いや、ある部分ではわかるんだけれどもその答えはそれぞれのもの。
どこに行こうとしているのかなんてね、もっとわからない。
限られた命、限られた時間、限られた環境、そして限られた_ _ _ _*、ただそれだけ。
ただね、これだけはわかります。
いろんな顔が目に浮かぶ。


だから。
俺は今までもこれからも楽しむ権利を行使していこうと思っているのです。
もったいない。
根源的な部分と同義でね、それが今出来る音楽だと思うから。
未来なんかわからない、誰が明日の夜も生きていると断言出来るのでしょうか。
今にも死ぬかもしれないよ。
そう思って過ごせる可能性のある俺達っていうのはやっぱりそういう生き物でしょう。
だから楽しめる。

人間ってどうしてこんなにもバランスがあるのかをたまに恨みたくなる時があります。
傾いた天秤を引き戻す為には新しい錘を…でもそれどこにあるの?ってね。
茶番はもうとうの昔に終わっていたのでしょう、人生の茶番がね。


なんかやっと1つわかった気がしてスッキリしたのでした。
そこに意味など無かったとね。
うちにいるパピもどんどん大きくなっていっててね、もう来た時の1.5倍くらいにはなってるんじゃないでしょうか。
死に向かってまっしぐら、でもあいつは楽しんでいる。
そしてあいつは泣いている。

でも大丈夫。
どれだけ賢くてもくだらなくても正しくても情けなくても100年後、親愛なる人達は誰もいないでしょう。
間違いなく死んでるさ。
だから大丈夫。

皆楽しめばいいと思います。
そうじゃなきゃ何もかもやめてしまえ。
そうすればまた新しい何かがやってくるよ、それもいいんじゃないでしょうか。
だから頑なに行使しましょう、楽しむ権利を。
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