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4・28後記。

さぁ、ゆるゆるとちんたらと明日くらいまでは4・28ヨツヤの日ネタを書いてみよう。
あまりにいろいろあったんだから。

なんだろうか。
ステージに上がったもの限定でも2008年のコラボ歴は…PAINTで参加の光君に始まりスリーマンでのasyura3rd、8人での大編成だったMILLHOWSE、人間魚拓の佐藤学生誕祭、年が明けてからは白病のクランケ・サンとの回転ドクロ。
他にも細かいものをカウントすればもうちょっと増える。
これね…本当によくやってきたと思う。
何がって多分俺達もそうなんだけれども恐らく視野角が10°未満なアーティストばかり。
余計な損得計算働かす時間があれば良い曲作るよって感じだ。
生活=音楽に純度を求めるのは少なくとも俺はそれでこそ本質だと思うし。
それ以外の要素が音楽に介入するのを極端に嫌う。
普通に前を見ているだけでも170°くらいは見えているのにね、音楽の事になったらっていう話。
ポリシーだとかとにかく芯を強く感じさせてくれる人達とばかりやらせてもらった。
しかもこれは誓って何のトラブルも無くね。
何のトラブルというのはね、やっぱりアーティストにとって曲というのは大事なモノ。
無くなったからまた買ってこればいいってわけにはいかない。
それを普段はよその人なのにいじらせるというのは…うん。
どこかで衝突していてもおかしくはない。
皆気の遠くなる程に歌詞だとか曲だとかに時間を費やしている。
この間なんてわずか1行、文字数にしてたった10文字未満に1週間篭もっている人いたもんね。
その間他に何もせず、苦しんで生むとはそういう事でしょ。
ナベジさんと話していたんだけれども、ナベジさんはギターを弾き出してもうすぐ30年なんだって。
よく考えるとね、30年もたった1つの事をやり続けられるのはアホしかいないって笑っていたもんだ。
サルにオナニーを教えると死ぬまでやり続けるとかって話があるけれど人間もそう大差ないだろうってね。
そんな不器用であろう人種同士がどちらかの曲をっていうのはね…少なくともそれが遊びじゃないのだとすれば…それはとても難しく達成したのであれば素晴らしい出来事。
だから俺はもちろんその都度誰をもリスペクトしてきたつもりだし、もちろんコラボとなると誰かにもそれを求めるだろう。
じゃなければ一緒にやる価値なんて無いんだから。

元より俺達って当初は活動場所の確保さえ苦しんでいた、誰と仲が良いわけでもなくね、ずっと1人遊びしていたようなバンド。
井の頭公園とかね…あぁ、ジンプルはあの頃普通のロン毛だったなぁ。
それがいつしかこんな機会をもらえるようになってね、2008年度はそうだった。
その機会が訪れる度に音出していてよかったと心底思ったもんだ。
そして今年、今度は本格的に_ _ _ _*の曲でって話になった時にゾっとしたもんだった。
これは四谷を知っている人であれば聞いてくれてもいいと思う、最初にこの話を聞いた瞬間に俺はやってくれそうで短期間で成立させてくれそうなアーティストが浮かばなくてほとんど断りかけていた。
技術もいるだろうしそれよりも経験、そしてそれよりも時間。
全然乗り気がしなくて前向きになれなくてね、完全に1ステージとなれば現時点では難度が高過ぎて無理だってね。
状況が何かで劇的に変わってでもいない限りはまたふられてもそう思うだろう。
だってナベジさんがやってくれるなんて思わなかったもん。
スランキーサイドであれだけのステージを展開して歌い続け全てをオーガナイズしながら長年音出し続けているというのは同じ畑の人間としては凄まじい所業。
やってくれたとしても短期なだけに程々で終わるかもしれないってさ。
程々のもので誰が楽しめるんだろうかってね。
それでも実際にコンタクトして話させてもらった時に状況が一気に変わった。
当のナベジさんのほうがそんなつもりはさらさら無かったんだから。
あれにはビックリした。
大人が子供の相手をしてくれるんだって。
それ程に俺にとってはそういう存在だった。
意思の立った曲を生める人はすべからず大きい。
俺はね、この日記を読んでくれていてスランキーサイドをまだ観ていないのであればどうか観て欲しい。
ここまで書く理由などいらなくなるんだから。

それでね、もっと驚くべき事はナベジさんはまともに_ _ _ _*のライブを最初から最後まで通して観た事が無かった。
なぜなら共演の際は常に俺達がトリ前でスランキーサイドがトリだったから途中から準備で楽屋に入るから途中から音だけとかだった、ビックリでしょ。
4月4日の核命解放区もそうだしね、この間の静岡でも沖縄のバンドさんと一緒させてもらってね、それでこのコラボ。
何かがわかった気がしてね、次の次の次くらいまで。
大きな月だ、2009年4月度。
もっとやれるさ。
ライブ中にあの人の背中を眺めていて思ったもんだ、なんだ、そうだったのかってね。
とにかく楽しかった、掛け値無しに楽しかった。
あれはいい、最高だ。
あれだけ大事に生んでいつ死んでも悔いが無いように叩いてきた。
誰か1人くらいはいつかまで覚えていてくれるだろうってね。
でもね、違った。
思い続ける限り、可能性は常に含みをもたらし嫌味な程にそれを突きつけられるんだってね。
これに気付けたのは大きな財産だ、何を今さらそんな事をって話かもしれない。
でもね、誰にでも簡単ではないはず。
リハーサルの度にナベジさんは新しいフレーズを持ってきてね、それは普段鍵盤いじくっている俺のものからはかけ離れたものか完全一致かのどちらかばかりだった。
ピカピカの新品ばかりでね、真ん中っていうのが無かった。
ありがたかった、だってその時点で理解なんていう杓子定規超えていたんだから。

2回目のリハーサル、実はもう3月頭の時点ですぐやれる公算はかなり見えていた。
同時に改めて手合わせさせてもらって規格外のとんでもない化け物だと思い知らされた。
だって普通に弾いてるんだもん、音のテンションも一致してあぅあぅ言わされた。
それで自由という余裕が出てきてね、何歌ってもらおうかってなって。
その中にあった1つが共犯者だった。
結果はあの通り。
いつかやってくれないかなぁ、カバーっぽいのをソロでもバンドでも…どういう風にさばかれるのかを知りたくてしょうがない。
全く別の、でも同じものになるはずだろう。
どう思い出してもあれが一夜限りのものだと思えなくてね、あれは確かにナベジさんで_ _ _ _*だった。


これはナベジさんにもまだ言ってないんだけれども、実はあの部分の歌詞をそのままではなくてキー調整と合わせて多少書いてもらった。
その中の一節にね、こうあった。

踊っているのは誰
唄っているのは誰

ニアミス。
実は…当初殴り書かれたままに溜められていっていた共犯者の歌詞は草稿の段階で20000文字近くあった。
バカでしょ、気付けばそうなっていてね…そしてそれを絞って絞って絞り込んでようやくまとまってきた時にまだ残っていた中に…ナベジさんは上の歌詞を実際に当夜限りのオリジナルとして歌っていたんだけれどもこの一節、14文字に関しては変更される前のものに程近かった。

そこで踊ってるのは誰なの
そこで唄ってるのは誰なの

これが実際に直前まで残っていた一節。
何に変更されたかはもし覚えていてくれれば大体わかると思う。
結果的にもう少しくっきりしたものに変更されたんだけれども今見直しても語呂、韻共にほぼピッタリだ。
リハーサルで最初にナベジさんが歌った時に何か聞いた事があるなって思ったけどしっくりきていてそれ以上は気にならなかった。
でも後でやっぱり気になった、それでナベジさんが持ってきた歌詞を詳細に確認させてもらったらそうだった。
偶然なんだろうけれどもね、そういうのもあった。
これは今度改めて聞いてみようっと。

明日はあの日の音響について書いてみよう。
例えば2ℓのペットボトル容器。
500mlずつ×4で満たされていたものに1ℓのものが投げ込まれた。
どうしよう==!!
これが面白かったんだから、あはは。
今日で4月も終わりだ。
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