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人生の余地と過不足。

何日か前の日記に書いた続き、無事にドクトルを再度捕獲。
しかも同じ手段で…やっぱりドクトルはアホだ、いやのん気なだけか。
今回は簡単にはリリースしないぞ、捜索主さんに連絡だ。
今は鳴き疲れてトイレで寝ている、うんうん、なんだか上京してきて全部新しくてこれからどうなるのかわからなくて不安だった夜を思い出したぞ。

疲れたろうな…だって捕まえて真っ先にやった事がお風呂。
猫族は基本的に水がアウト。
慣れたらわりとすんなりなんだけれどね。
ドクトルの首から上が出るくらいまでに超ぬるま湯を溜めてドボン!
上に蓋して逃げれないようにしたらより暴れるからそれである程度自動的に洗ってくれる。
その後に念入りにシャンプー、ちょっとでも雑菌落としてパピに何かの感染防がないとダメ。
途中から諦めたのかジッとしていた。
もしかしたらシャンプーされる感覚知っていたのかもね。
ドクトルはパピと違って雄だから俺からすればやりやすい。
だって雄同士だから威嚇が通じるんだもん、雌はプイっとするだけで終わりかねないけれど雄にはほとんどの場合が有効。
パピも前回と違ってなぜか多少の仲間意識が芽生えたのかトイレで一緒に寝ていたとさ。
果たしてドクトルは捜索人が飼い主なのだろうか。


さて。
どうやらまた周辺でバンドの解散が相次いでいる。
早い、早いぞ。
皆それぞれの生活があるしね、学生でもないから別の道かもしれない。
だからただ見送るだけしか出来ない。
もうあの場所では会わないだろうなという場合も大体はわかる。


一応…一応ことバンドに限っての話にさせてもらうけれどね、音出している人間で才能無い奴なんていないでしょ。
初ライブに漕ぎ着けるのにどれだけの運と労力、そして熱が必要だった事か。
才能が無いと嘆くのは、俺は努力する才能が足りなかっただけだと思う。
堅苦しいね、「努力」だってさ。
最も努力と感じる時点で熱不足なんだろう。

でもね、そうじゃないと誰もやっていられない。
才能なんてよほど大器じゃなければ後付けでしょ、才能の発動なんて絶対にあんなの偶発的なものだ。
それか偶然にも音楽よりも大事な何かがあっただけ。
それがなんであれ別にいいじゃない。
中途半端であれば何やってもそうだろうしね、それだけは自分をごまかせるものではない。

ただね、たった1つだけ腹が立つのは当初やりたかった音楽、当然伴っているはずの熱。
そこにつけこんで語弊があるかもしれないけれど、俺から言わせたら貫徹すべき音楽性を歪めかねない悪い大人が現れるわけだ。
水準以上の才能の片鱗、それに少しの結果が見えた時点でそれは本格的に始まる。
Give&Takeっていうのは少しの利潤追求でいとも簡単にバランスを失い、音楽性を失墜させる。
結果、本来誰に何をどういう風に、それ以前になぜ音楽をってね。
GiveされたらTakeするでしょ、TakeされたらGiveするでしょ。
Giveしっ放し、Takeしっ放し、なんだそれ。
昔からそんな話腐る程あったけれど、最近は身近でもあまりに多過ぎる。
誰も余裕が無さ過ぎるんだ。
あの時出会えたあの人達もこの人達もね、もし少しでもそんなつまらない理由で音楽から離れていくのであればそれは苦痛に感じる。
絶対に俺達は衰退していく一方なんだろうから。
相次ぐ解散、脱退、休止。
どうしようもない理由であれば納得いくのにね、本当にその音楽性に感動させられてそれからそんなだったら悲しい。
それとなく暗い話だったけれどね、そんな物思いにふけった今。


何の為に生まれてきたんだろうね。
ずっと昔から今まで人達は何の為に。
与えられている時間をどう過ごすのかをずっとずっと昔から考えてきた。

かなり前からだけれどもね、死刑囚ブログというものがあっていつそうなるかわからないのに手紙がブログにアップされている。
そしてそこから発生した少しのギャラをかつてフィリピンパブで出会った女性との間に産まれたお子さんに送金しているそうだ。
こればかりは物凄く死生観を揺さぶられる。
犯した罪を悔いているのか、悔いていないのか。
現状を正しく受け止めれているのか、受け止められていないのか。
いないのだとすればなぜ死んでいくのか、それをどう捉えているのか。
見ようと思えば見るべき方向を目玉が動いて視界が捉える。
何かを取ろうと思った時にはもう腰から肩、腕から指にかけて連動して動いている。
生きているってそういう事でしょ、それがもうすぐそうじゃなくなる。
それを冷静に考えると俺は怖い。
でも確かにそれを選んだのだろう、選ばない余地もあっただろうに。
俺が絶対に死刑囚にならない確率なんて0では無いだろう。
守るものたくさん抱え過ぎた人間が0だと言い切れるのであればこの世に罪など存在しないんだから。
俺の5年と死刑囚の5年、何が違うのだろうか。

それとかね、記録もたくさん残っている第二次世界大戦時の写真。
捕虜になった人が今から自分が殺されて埋められる穴を自ら掘らされているんだけれど、その掘っている人の顔の虚無感と言ったら無い。
年で言えば俺とそんなに変わらないだろう。
サイコにしか見えない、狂気だ。
どんな素晴らしい描写の戦争映画を観ても静止画の1枚絵には遠く及ばない。
リモコンで動いている人形のような表情。
掘ったら掘ったでその穴の前で銃口突きつけられてるんだけれど、ピストルを突きつけている人も突きつけられている人もその表情の無機質さは理解出来ない。
そんな人生もそれぞれのものだったのか。
だとすればこんな時代に何の為にと見出そうとするのが土台無理な話。
食って寝る、それが大筋だったはずなのにあまりにも簡単に生きれるから難しくなる。
不幸話、不幸自慢をした所で不満を掲げた所で誰が取り合ってくれるんだろうか。
今は2009年だ。

人生なんて膨大な暇潰しだって誰かが言っていたけれどね、それって選べる話でしょ。
俺はもうこういうフレーズが嫌いになっちゃった。
今まで生まれて死んできた生き物の中で選べたのはほんのわずかだろう。
さらにそのほんのわずかな中から間違いなくより多くを選べるはずの俺達。
これは凄い話。
だから弱くもあり迷いがありながらも生きられるんだろう。
そういうの考えて音出しているとね、物凄い衝動に駆られる。
その衝動が現実になった時、多分ここでいろいろと書く事も無くなるのかもしれない。
そんな気がする。

何の為に?
どうでもいいんだけれど、しいて言うならば俺の為…ではないのは確かだ。
それだけはわかった最近。
楽しくなってきたぞ。
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